ウィーン大学で2日、イスラエルのラマド・ガンに位置するバル=イラン大学哲学部のイサク・ヘルシュコヴィッツ教授(42)が“奪われた書籍を探して”というテーマで講演した。
同教授によると、ナチスはユダヤ人を強制収容所に送る以前にオーストリアや中欧のユダヤ人が所持していた書籍、覚書、日記などを「憑かれたように押収していった」という。それも「立派な古典とか、ユダヤ教の聖典といったものだけではなく、ユダヤ人が読み、書いた本ならば全て押収した」という。その理由については、ナチスはユダヤ民族の秘密がヘブライ語で書かれた本や書籍の中に隠されていると推測し、ユダヤ図書館、ユダヤ人学校、シナゴーク(会堂)を徹底的に捜査して本を見つけ出し、持っていったと考えられるのだ。
「再・唯名論と復興」などの著書がある教授はナチスによって押収されたユダヤの本を見つけ出し、そのカタログを作成することを研究テーマとしている。教授はウィーンに来る前はポーランドやハンガリーで“失われた本”探しに奔走してきた。ハンガリーには当時、ラビ(ユダヤ教の指導者・学者)たちが多くの書籍を書いたこともあって、多数のユダヤ系書物があった。欧州のユダヤ系書籍の4分の1はハンガリーにあったといわれているほどだ。
「ウィーンには昔から多くのユダヤ人が住み、ユダヤ人による本も無数あった。それらはどこに行ったのか調べるのが自分の仕事だ。どれだけの時間がかかるかは分からない」という。今回は家族を連れてウィーンにきた。長期戦の構えだ。
ウィーンのターボアシュトラーセにはダビド・フレンケルが経営する当時欧州最大のユダヤ図書館があった。ナチス親衛隊将校のアドルフ・アイヒマンは直接同図書館を訪ね、書籍を奪っていった。ナチスは当時、敗北が既に濃厚だったが、ユダヤ書籍狩りは止まらなかった。「ユダヤ書物への戦争」と呼ばれたほどだ。
ユダヤ民族は「書物の民族」という。彼らは多くの本や覚書、文献を書いた。それがナチス・ドイツ軍の侵攻で奪われていった。彼らはユダヤ人を強制送還する前にユダヤ図書館などから「組織的に本を集めた」という。
このコラム欄でも何度か紹介したが、ジークムント・フロイト〈1856~1939年)は言葉の魔力を知っていた。言葉を通じて、悩み患者の世界に入り、その原因を解明していく精神分析学を確立した。患者の無意識の世界を言葉を武器にして訪ね、病気の原因を見つけ出していった。ユダヤ民族は言葉の言霊を信じている。
それにしても、なぜナチス・ドイツは本を燃やさなかったのだろうか。燃やせば、本を運ぶ労力は省けるし、処分は手っ取り早い。教授は「彼らは本を集めて運んでいった。本を燃やすことはしなかった」と証言する。
歴史を振り返ると、異端者や反逆者は火あぶりの刑となったが、書籍を燃やす焚書事件も頻繁に起きた。ドイツでも1933年4月、非ドイツ的な内容の書籍を燃やす焚書運動が起きた。
「ドイツ学生協会」は当時、「非ドイツ的な本」をことごとく燃やす運動を始めた。大学教授や学生たちが動員され、退廃した文化を広める本を見つけ出し、燃やしたが、その数は2万5000巻を上回ったという。フロイトは、「昔は人間が火あぶりで殺されたが、今は本が燃やされている。これを人類の進歩と呼ぶべきなのか」と皮肉っている。
アドルフ・ヒトラーは、「ドイツ民族はアーリア系の卓越した民族」と信じていたが、ユダヤ民族はそのアーリア系民族を脅かす民族と考え、ユダヤ民族がなぜ優秀なのか、その知恵と能力の源流を突き詰めたいと願っていたのではないか。その秘密を解くカギがユダヤ人が書いた書籍、本の中に潜んでいると考えたわけだ。ナチスは600万人以上のユダヤ人を殺したが、押収した本は燃やさず、秘密の場所に保管したのではないか。
ヤコブから始まったイスラエル民族はエジプトで約400年暮らした後、モーセに率いられ出エジプトし、カナンの地に入り、士師たちの時代を経て、サウル、ダビデ、ソロモンの3王時代で王朝時代を享受するが、異教徒の影響を受け、信仰を失っていく。神の教えに従わなかったユダヤ民族は南北朝に分裂し、北イスラエルは紀元前721年、アッシリア帝国の捕虜となり、南ユダ王国のユダヤ人たちはバビロニアの王ネブカデネザルの捕虜となったが、バビロニアがペルシャとの戦いに敗北した結果、ペルシャ王クロスの支配下に入った。
唯一神教のユダヤ教が今日にみられるような宗教として成立したのはエジプト捕虜時代やサウル、ダビデ、ソロモンの3王朝時代ではなく、ユダヤ民族のバビロン捕囚期間とその後だ。ペルシャの王クロスによってバビロン捕囚から解放されたユダヤ人たちはエルサレムに帰還し、現在ユダヤ教といわれている宗教の基礎を築いたが、彼らは神殿を建設する前に神の教えを記述した聖典を作成していった。
ヘルシュコヴィッツ教授の「奪われた本を探して」の話を聞いていると、ハリソン・フォードが考古学者の大学教授役(別名インディアナ・ジョーンズ)を演じて大ヒットした米映画「レイダース・失われた聖櫃(契約の箱)」(1981年公開)を思い出した。ヘルシュコヴィッツ教授の「奪われた本」の捜査がハッピーエンドで終わることを期待したい。
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「ウィーン発『コンフィデンシャル』」2019年12月6日の記事に一部加筆