香港での反政府デモやチベット・ウイグルでの少数民族への抑圧、軍事面も含めた脅威などについての中国への反発が世界的に広がっている。あるいは、中国が公正な通商ルールを守っていないと対抗措置がとられつつある。
習近平主席の訪日が予定されているが、国賓として迎えるべきでないという批判も高まっている。 しかし、中国が改革開放の開始以来40年間、実現した経済発展は世界史上に燦然と輝いている。IT技術の活用では世界に先行している。国民の自由も少なくとも習近平主席の就任までは全般的には改善の方向にあった。
国賓とすることに反対が多くてもいいが、ここで国賓として迎えないことが、習近平主席や中国への打撃となるとは思えない。丁重に迎えたうえで、中国が進むべき方向について指導部と国民にメッセージを送るチャンスにしたほうが有意義だ。
1978年に、日中平和条約調印のため鄧小平副首相が訪日した。そこで見聞きしたり、福田赳夫首相、大平正芳自民党幹事長と対話したことが、中国の改革開放のきっかけとなったことの再現をめざしたい。
天安門事件の余波が終わった20年ほど前から欧米は世界は中国の危険性や非民主性について甘すぎた。そういう状況では日本は問題を指摘し糾弾する必要があったが、いまやその必要はない。
たとえば、AIIBに参加を留保したら日本の偽リベラル勢力は安倍首相をさんざん批判したが、いまや、そのときの判断が間違っていたなどという声はない。
日本は明治憲法を制定して自由選挙による国会を開設してから130年だ。中国はその段階にすらまだ達していないのである。
あれだけ豊かになったのだから、まだ未熟だから民主化はできないといういいわけは許されない。
香港や台湾のように民主化された地域を併合して逆行させるなど論外だ。そうしたことを、日本は指導者を歓迎しつつ、説得すべきではないか。
一方、孔子学院の活動のように、欧米が中国の無法な浸透に対してとっている規制や対抗措置は遠慮することなく淡々と実行すればいいのでないか。
マスコミ界への不適切な影響力行使も同様だ。
しかし、「日本の民主主義は脳死状態」ではなかろうか。日本の凋落に、政治が危機感を持って取り組もうという意欲が出てこないのである。
平成の初めに、日本の8分の1のGDP(国内総生産)だった中国が、わが国の3倍のGDPになった。先端技術でも、中国や韓国の後塵を拝している。
30年前には「冷戦が終わって平和な時代がやってきた」と思ったが、ロシアは立ち直り、中国は超大国化し、北朝鮮まで核武装した。
本来、野党が「これでいいのか」「こうすべきだ」と政府与党を追及・提案すべきだが、憲法第9条についての神学論争や、「モリカケ」「桜を見る会」での探偵ごっこに終始し政策論争を怖がっている。
国会には議論が必要な法案が出ているのに、名簿を裁断したシュレッダーの見学に行ったり、ホテルで資料を出せと押し問題するなどに終始していた。国民民主党の森裕子参院議員の質問通告遅れ疑惑はえげつないが、それを質問漏洩疑惑にすり替えて時間を費やしていた。そして、様々な法案はベルトコンベヤーに乗ったように成立していった。
「桜を見る会」は、脇が甘く慎重さに欠けたのは事実だ。素直なおわびがあった方がいいと思う。野党は「一本とった」と誇っても構わない。ただ、どこの国でも、こんなことで政権交代などは起こるものかと思う。
あきれたことに、左派野党やメディアは、ブーメランになっても平気だ。昔なら、自民党と同様のスキャンダルが直撃すれば、クリーンと思われている野党の方が打撃が大きかった。今は自民党よりクリーンでありたいなどと思わないのか「民主党時代も同じなどというな」とおかしな開き直りだ。
過去の政権の巨悪の臭いがした政権スキャンダルに比べて、「桜を見る会」のような些事しかないのは、安倍政権がよほどクリーンということではないか。
安倍首相は、政治生活でも私生活でも、それほどお金を必要としたことはない。派閥を率いたこともないし、子分に利権をまくでもない。首相の通算在職日数が戦前の桂太郎を抜いたが、この2人の長州人は、いずれも無趣味で、贅沢はせず、愛国的で政治が趣味だ。
ただ、安倍政権も少し慎重運転に過ぎて、日本の危機への対処としては、もの足りない。
与党も野党も、中国の習近平国家主席が訪日したときに、「さすが、日本の民主主義は素晴らしく、経済でも安全保障でも足を引っ張ることなく、国民の利益を増進させるために切磋琢磨している」と感心させて欲しい。
本当のことを言えば、中国が民主化を目標にしなくなったのは、アジア一の民主国家である日本の体たらくだと思う。
日本の民主主義の素晴らしさを見せて「自由化」「民主化」「人権尊重」を説得しようではないかといいたい。ただし、それまでに、野党やマスコミが日本経済や安全保障を増進するのに役立つ存在であると習近平に思われる存在になっていなくては話にならないだろう。
朝日新聞やNHKは中国にとってありがたい存在だが、中国におなじようなタイプの報道機関があったらここ40年間の躍進はより成果が大きかっただろうと確信を深めてくれるかどうかは、彼らがよく胸に手を当てて考えてほしいものだ。
八幡 和郎
評論家、歴史作家、徳島文理大学教授