こんにちは、東京都議会議員(町田市選出)のおくざわ高広です。
前回の教育改革のヘッドピンの続きです。どれだけの美辞麗句を並べても、それが子ども一人ひとりに届かなければ何の意味もなく、最後は教職員、つまり学校で子ども達に気づきや学びを与える存在が、その力を伸ばし、最大限発揮できる環境整備が不可欠です。
もちろん、学校外での学びについても、その価値は大きく、学校に通わないという選択肢があってもいいし、その選択をした子どもに対しても、しっかりとサポートすべきとは思います。とはいえ、今の日本においては、大部分が学校での学びを基本としており、学校での学びを最大化することは責務であると考えます。
ヘッドピン④教職員の指導力の最大化
まず、教員の多様化です。英語、プログラミング、起業家教育など、今の子どもたちに届けたい学びは、多様化しています。それに対応して、教える教員も様々なバックグラウンドを持った方であるべきと思います。実際に、工業系高校ではプログラミングの授業において、IT企業でアプリ開発をしている方を呼んで授業をしているところもあります。多様な人材を学校に呼び込むために、多様な働き方を認めていく必要があると考えます。これは、一般社団法人東京学校支援機構の人材バンクに期待したいところです。
次に、教員の多忙解消です。国も働き方改革に乗り出しているところですが、教員がやらなくていい仕事もたくさんあり、またICTで効率化できるところもたくさんあるそうです。一方で、特にご高齢の教員の方からは、一見無駄に思える仕事こそやるべきとか、手書きこそ教員の心が届くとか、ICTは分からんとか、その人個人の大切にしていることや能力の問題を、他人にまで押しつけている方もいるようです。
個ではなく、組織としてどうあるべきか、ある程度の強制力を働かせなければならないのかもしれません。一方で、働き方改革を進めるには、実際に仕事の切り出しやマネジメントをする人も必要になりますので、事務職員の加配をしていかなければならないのは言うまでもありません。
その次にあるのは、人材の採用評価育成システムです。人事制度全般の問題でもありますが、頑張っても頑張らなくても同じという点…これを変えなければいけません。前段で多忙解消を進めるのと同時に、教員が自らの能力を高める努力に対してインセンティブを働かせなければ、質の向上にはつながりません。
例えば、360°フィードバックで、自分自身を直視できるようにすることや、それが昇給に反映されていくようにすべきです。また、資格取得へのポイント付与や民間出向を推奨することで教員自身の視野を広げる必要があるのではないかと思います。
また、大学を卒業してすぐに「先生」と呼ばれ、完璧を求められるのは、あまりにも酷ではないかと思います。司法修習生ならぬ教員授業修習生制度を創設し、大学まででは習わなかったこと(例えば、いじめへの対処や保護者対応、キャリア教育など)を実地やワークショップで学ぶべきと思います。
さらに、指導主事と呼ばれる学校における教育内容などにおいて専門的事項の指導を行う方の発掘・育成も急務です。東京都は、ジョブローテーションの一環で指導主事をしているという話を伺います。しかし、教員に対して指導を行う存在の指導主事が、教員自身であった場合、本当に望むべき役割は発揮されるのでしょうか。現場より一段高い視座から、専門的知見をもって、より良い学校とするための指導助言をするための存在として、その発掘と育成に力をかけるべきと思います。
そもそも論になりますが、教員自身にも得意不得意や相性の問題があります。千代田区立の麹町中学校ではチーム担任制度がとられており、一つの教室を複数の教員で掛け持ちながら担任をしています。すると、A先生は苦手だけど、B先生になら話せるという生徒も出てきます。また、C先生が見落としてしまったいじめに、A先生が気付くこともあるそうです。学校における人間関係を固定化させない工夫も重要であると考えます。
また、斉藤れいな都議からは、学校ニーズと先生の強みをAIで自動的にマッチングするような異動の仕組みを作ることも、将来的には必要ではないかという提案もあり、今後研究していきたいと思います。
さて、いかがでしょうか。自分で書いていても分かりにくいなぁと思うと同時に、教育を最重点に掲げる政治家が少ないことにも納得してしまいました苦笑。しかし、現在、2040年代の東京をターゲットにした長期ビジョンの策定に向けた議論が行われてあり、その中心を生きているのは、今まさに学校に通い、あるいはフリースクールなどで勉強をしている子ども達に他なりません。
次の時代に必要とされる能力を育むために、教育改革が叫ばれて久しいにも関わらず、一向に変わらない(ように見える)のはなぜだろうか。科学技術立国だ、英語だ、プログラミングだと次から次へと教育内容は増えていくのに、それは子ども一人ひとりに届いているのだろうか。教育を変えるためのヘッドピン(それが動けば全体が動くもの)はどこにあるのだろうか。探し求めてきた一つの答えを出したつもりです。
亡くなった父は高校教師でしたが、いつも教育委員会と戦っていたように記憶しています。時と場所を変えて、私が教育委員会の機能転換という答えにたどり着いたのは、ある種の運命めいたものを感じますが、その中心には、いつ、いかなる時も、子ども達がいます。腰を据えて取り組んでいきたいと思います。引き続きのご指導ご鞭撻のほど、よろしくお願いします。
編集部より:この記事は、東京都議会議員、奥澤高広氏(町田市選出、無所属・東京みらい)のブログ2019年12月22日の記事より転載させていただきました。オリジナル原稿を読みたい方はおくざわ高広 公式ブログをご覧ください。