日本史上だけでなく世界史的にもまれな惨憺たる時代だった平成が終わって令和になった。平成の時代は昭和の時代に勝ち得た世界史的成功をものの見事に吐き出してしまった暗黒の時代であったのであり、その真摯な反省のもとに、令和の時代にあっては、国運を挽回しなくてはない。それは、平成の時代の悲惨な出来事について責任がある我々の世代にとって、義務でもあると思う。
そこで、年末にある勉強会でお話しさせていただいた表記のような講演の内容に筆を入れて、新年に当たって頂きたいと思う。平成のどこがダメだったのかということは、これまでもいろいろ書いてきたので、今回は、令和にどうすべきかに重点をおいた。
平成年間に経済成長率が世界最低クラスだった日本
平成の30年間に日本経済のドルベースの成長率は213国・地域のうち201位である。北朝鮮などとともに最低グループであって、日本の8分の1だった中国が日本の3倍になった。少子化も深刻である。
一方、平均寿命は世界トップクラスで、なお、順調に伸びている。経済力が伸びないのに寿命だけ延びたら生活、とくに高齢者のそれは悲惨なものにならざるを得ない。
この背景であり結果でもあるのだが、優秀な人材は医学部に集中してますます寿命だけ延ばすことに貢献している。
つまり平成という時代は、過去の蓄積を食い潰し、安穏に自分たちが長生きすることばかりを考え、国家をじり貧に追い込んだ時代であり我々の世代の責任は重い。
平和な時代であったのが救いというひとがいる。しかし、平成のはじまったころは冷戦が終わり安全保障環境はとても良かった。ところが、ロシアの復権、中国の台頭、北朝鮮の核武装、日本の防衛体制整備の遅れで非常に危険な状態で戦争を恐れるべき状態になってしまった。平成が戦争がなくて良かったというのは1938年の英仏に似ており、とんでもない勘違いである。
日本と中国の明暗はどこで分かれたか?1978年に鄧小平が来日して大平幹事長からアドバイスを受けて改革開放の基本指針を決め、朱鎔基がバブルに傾くことなく経済建設を進め、その後も先端技術を社会に導入し、外国に留学生を大量に出した。
日本は大平首相の増税案(一般消費税・グリーンカード)をつぶして以降、魔法のマクロ経済政策を探し求めることを繰り返しており、競争力強化のためのまじめな努力をしていない。
そもそもの経緯は、
- 日本の福祉は欧州に比べて低水準だった
- 福祉充実のためには増税必要だが強い抵抗がある
- 田中角栄首相のころ成長継続を前提に現役世代負担を前提に増税なしで福祉を充実させた
- 石油危機で経済成長止まる
- 大平正芳首相が一般消費税を唱えるも不人気
- 行政改革後に増税するつもりだったが国民納得せず
- 中曽根政権下で地方振興策を放棄し当局一極集中を容認しバブル起きる(国有財産売って帳尻合わせの意図も)
- バブルの崩壊は不可避だったが経済成長と不良債権処理で傷はもう少し浅くてすんだはず
…ということだった。
バブルは膨れたら破裂するのは不可避であり膨らませたのが悪いのでソフトランディングなどありえなかった(ありうるという人は業者や金融機関が逃げて一般庶民に高値づかみをさせるという話でしかなかった)。
ただ、産業の競争力の強化、合理的なインフラ投資などで経済成長を図れば傷は浅くできるし、速やかな不良債権処理も必要だった。
しかし、経済成長を敵視していたし不良債権処理も遅れた。景気対策と称して公共事業を積みましたが成長を促すような前向きの投資でなかった(当時、私は「経済成長より大事なものがあるという時代が終わった」「追いつき追い越せの時代は終わったという時代が終わった」といっていたが)。
中曽根氏や小泉氏の民営化は成功だったのか?民営化後のパフォーマンスはそれほどよくないのではないか。福知山線の事故は民営化のせいである。多くのローカル線が廃止されたり第三セクターというかたちで地方に押しつけられ、新幹線の建設も遅々としている。駅ナカ商店街など民業圧迫だ。
JRも通信各社も「儲け優先」に走りすぎて、諸外国で存在する鉄道会社間の競争も成立しておらず、高い水準のサービス提供ができているわけでなく評価できない。
日本経済にとって幸運だったのは、中国経済の成長でおこぼれにあずかっていることくらい。文化については、落ち目の国やバブルを経験した国は観光や文化で食べるのが普通だが、これはかなり順調にいっている。
それでは日本にとって改革を要する問題を9点挙げていく。
①教育を経済の需要に応じ世界最先端のものにする(特に医学部への人材集中を排除せよ)
維新ののち新政府は、早くも明治5年(1872年)に、それまでの前近代的で低レベルの藩校や塾にかえて学校令によって小学校の義務教育化をめざして全国や津々浦々に小学校を開校した。ついで明治19年(1886年)には全国各県に尋常中学を、さらに、高校や帝国大学を全国のみならず朝鮮や台湾にまで設けた。
世界から第一級の専門家を招き、留学生も大量に送り出した。従来のそれぞれの分野の専門家など当てにしなかった、また、どのような分野を重点にするかは政府首脳にとっての最大級の関心事でもあった。
現代の状況をみれば、世界最長の平均寿命が達成されているなかで医学部への人材集中は無駄である。一方、IT分野の人材不足は世界でいちばん深刻だ。英語も学者になるために読解力を高めることより「話す・聞く・読む・書く」の4技能を高める必要があるのは当然でだろうが、それを邪魔する人たちがいて大学入試改革を潰してしまった。
②先端技術を応用した社会にすることをためらわない(第二の文明開化が必要)
新しい技術については、それを開発し生産提供するだけでなく、それを社会で実際に使用することが必要だ。それをしないと、人々の生活を良くもしないし、需要が伸びなければ産業も発展しない。
そういう意味で、たとえば、日本が情報化先進社会になる必要がある。ところが、この分野で日本は中国や韓国に比べても大きく遅れている。これでは産業にも勝ち目はない。
③公共事業は額より長い目での採算性が大事でないのか。かつ、公共事業は農業社会でないので望ましい雇用を生まない。
かつては公共事業による需要喚起は重要だった。なにしろ、農業社会では、景気が悪いときに土木工事をすれば、職がない人に確実に仕事を提供できたからだ。ところが、いまやそういう時代は終わった。
職を求めている人がいても、建設作業員になりたい人はごくわずかだ。
また、マクロ経済学者はどうして、投資する価値がある公共事業とそうでないのを区別しないのか理解に苦しむ。
基本的にはインフラ整備は外部経済も含めて採算がとれるならいくらしてもいいし、とれないなら全くやる必要はない。
あとは、民間投資が冷え込んでいるなら少し増やすべきだし、金繰りに無理があるなら控えざるを得ないというだけだろう。
④小さな危険より巨大な危険への対策を重視すべき(南海トラフ・首都直下地震)
天災であろうが人災であろうが、危険を除去する投資は、財政にとって採算が合わなくてもする必要があるときがある。もちろん、常にではない。リスクが対処する必要がないほど小さかったり、別の手段のほうが安いなら別だ。
しかし、現実には、とくに日本では、いちど起きた問題を二度と起こさないためには十分すぎることを迅速にするが、起きてないことには冷淡だ。
その結果、しばしば起きる小さなリスクへの対策は充実しているが、南海トラフ地震に代表されるような滅多に起きない大災禍への対策は弱い。
⑤少子化対策をすべてに優先する位置づけを(男女共同参画にすり替えるな)
少子化対策が日本の経済はもとより、社会にとっても、国家にとっても最大の課題であるという一般論はたいていの人が認める。
しかし、それなら、ほかのより優先度が低いニーズを犠牲にすることをしないのかというと、違うらしい。子供をつくることを呼びかけることは、LGBTの人が嫌がるとか、子供を作れない人が傷つくとか、自分の勝手でつくりたくないひとを傷つけるとかいって邪魔する。
だが、それはおかしい。いろんな事情で自分でこどもをつくらない人の将来を保障するのは、ほかの人が生んだ子供なのだ。
また、少子化対策の予算はしばしば、男女機会均等などに流用される。もちろん、男女機会均等は大事だが、少子化対策への努力や予算を横取りすべきでない。
たとえば、保育所充実という一本足打法はまことに無駄が多い。一番、許せないのは、国会や厚労省の保育所だ。コストを計算すれば一人あたり数百万円にのぼるだろう(世界の大都市都心の民間保育所の保育料がそのあたり)。少子化対策としてコストパフォーマンスが高い使い方でない。
⑥憲法改正そのものより何を目的にするかの方が大事(第9条は無抵抗主義なのかどうか明確化。徴兵も避けたいなら何が必要か。戦死者が少数出ることはそれほどダメなことなのか)
憲法論争はドグマを争うより何を改善しなければならないかが大事だ。私は第九条について違憲論があることで、できないのは、学校教育で自衛隊や安保の重要性を教えられないこと、天皇陛下が観閲などをできないこと、地方自治体などに業務への協力を強制できないことだと思う。
もし枝野幸男氏が自衛隊を「憲法違反なんていう人はいないから改正は必要ない」というなら、立憲民主党が率先して満場一致でそのむね国会決議してはどうかと思う。
それから、憲法問題でないが、いま、政府もとっている、戦死者をひとりも出さないということを金科玉条にする政策は無理があるし国益を致命的に傷つけている。
現在、自衛隊の殉職者は事故などで3万人に1人だ。警察もそんなものだ。消防士は2万人に1人。トラックの運転手で3000人に1人、漁船員が2000人に1人より桁違いで少ない。
消防士でも無理をしなければ、火災現場での死者ゼロは可能かも知れないが、そんなことしたら、火災による犠牲者は飛躍的に増えるだろう。山岳救助のヘリなど廃止するしかない。自衛隊がPKOに行って死者ゼロにこだわっては他国のPKOがしているのと同程度の危険な仕事はしないということだ、
それでは、国際的に評価されるはずがない。別に文民でも危険地域に行くし、死んでいる人はいる。バカな国会議員の質問通告遅れで残業するのは愚劣だが、国益を守る上で過労死が出るかもしれないと思いつつ働いたことも多いのだ。
⑦地方分散は少子化対策、防衛対策としても有効(東京の出生率1.1。九州は1.6)
地方分散が進まないのは、何より数値目標を掲げないからだ。つまりやる気がない。ここではそれは論じないが、ひとつ言っておきたいのは、地方分散は少子化対策の決め手だということだ。東京の出生率は1,1九州は1.6、沖縄は1,8だ。東京から九州に雇用を一万人移したら5000人の子供が余計に生まれるのだ。こんな効率のいい少子化対策はほかにない。
また、九州や日本海側の過疎化は国土防衛のうえでも危険である。
⑧移民について(なぜ欧米のリベラルは移民に寛容なのか。ローマの奴隷制と似た構造)
私は、移民はローマの奴隷に似ていると思う。ローマの都市生活は高コストのはずだ。だから、普通には労働者は暮らしていけない。だから、奴隷が必要だった。ローマの奴隷の生活水準は悲惨ではなかったが、原則として結婚したり家族を持てなかった。だから、安く使えた。
しかし、それでは再生産がきかないはずだがローマは戦争をして連れてきて補充したが、結局それができなくなって滅びた。
東京でもニューヨークでもカリフォルニアでも同じだ。エリートたちはかつては地方から出てきた人を、いまは、移民に頼って地方と違うことないコストでいい生活ができる。
損をしてるのは、日本の地方やアメリカのラストベルトの人たちだ。アメリカのリベラル勢力の正体は、大都市エリートと移民なのはそういう事情だ。これは、何もリベラルの看板の公正さはない。
⑨外交について…民主主義・人権・市場経済を基軸にアメリカだけでなく欧州などとも連携が必要
安倍首相が掲げた価値観外交は思った以上にうまくいった。民主主義・人権・市場経済を同じくする同盟である。私はうまくいくか心配だったが、ヨーロッパ諸国が中国の危険性に気づいてくれたので、トランプのアメリカがふらふらしても、日本・オーストラリア・フランス・ドイツ・イギリス・カナダで十分な勢力だ。
トランプのアメリカも困ったものだが、こうした国々の歩調がそろえば、ななとかなるし、いずれは、中国やロシアも取り込んでいける望みが出てくると思う。
韓国はどうか。どうでもいいことだ、ついてきたければ言い値でいいならいれたらいいだけだ。明治以来、世界の主要国はあの国を説得しようとして無駄な努力をし裏切られ続け不和の種をまかれた。話し合ったり、説得する必要はない。しかし、交渉相手としてでなければ、国民は世界の発展に寄与できる優秀な人たちだ。
八幡 和郎
評論家、歴史作家、徳島文理大学教授