私は学生時代京都で同じ岐阜県出身の妻と出会い、19歳から付き合い始め、28歳で結婚して2人の子供を授かり、35歳でALSを発症し今に至ります。
妻は、京大大学院を修めながらベンチャー企業に就職した時も、東京での上場企業の役員の座を捨ててFC岐阜に行く時も、ALSの身でありながら株式会社まんまる笑店を設立した時も、何一つ反対しませんでした。
学生時代に妻への思いがLIKEなのかLOVEなのか考えたことがありますが、当時答えは出ませんでした。愛してるというのがどんな状態を指すのかわからなかったからです。
それがALSの身となりようやく分かりました。愛とは例えるなら次のフレーズです。
『どんな「もしも」が君の未来に割り込んでも構わないさ。僕はずっと君の味方さ。』(CHAGE&ASKA『if』より)
私はALSになり、少なからずの方から裏切りに会います。ビジネスパーソンとして喋れない男に利用価値はない、こんなわがままな利用者には付き合い切れないと、仕事においても介助者からも何度も裏切られました。
その度に心の支えになったのは妻でした。「何があってもお互いに絶対に裏切らない存在」、そしてその根底にあるのは「お互いの価値観を認め合い、その能力を信じ合う存在」、それが私と妻の間にある愛の形です。妻はALSの私に対して「あなたが働かないのは岐阜県にとって損失だよ!」言いました。妻は私の仕事への思いと、常に地べたを這いつくばって結果を出してきた私を間近で見てきた、世界で唯一の存在です。
妻は学生の頃からそのことを実感しており、私はALSになって初めて愛を語れるようになりました。いくつになっても妻には敵いません(笑)
ALSも悪いことばかりじゃありません。私と妻の信頼関係を絶対的なものにしてくれました。元々赤の他人である我々夫婦に、共に生きる覚悟を植え付けてくれました。
『夢よもっとひろがれ201号』byいぶきファミリーに掲載(一部改訂)
恩田 聖敬
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この記事は、株式会社まんまる笑店代表取締役社長、恩田聖敬氏(岐阜フットボールクラブ前社長)のブログ「ALSと共に生きる恩田聖敬のブログ」2020年1月4日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿をお読みになりたい方はこちらをご覧ください。