ゴーン事件への庶民の反応から読み解くフランス年金改革反対スト

有地 浩

ゴーン逃亡者に対するフランスの一般国民の態度は、彼を擁護するよりも、むしろ冷淡さや反感を示すものが多くなっている。

Adam Tinworth/flickr:編集部

6日付の中道左派の新聞リベラシオンは皮肉っぽく「(ゴーン氏は違法出国のために)一般人では容易に手に入れられない金を使った・・・フランス人は、彼の破天荒なグローバリズムとグループのキャッシュフローを増すために(大リストラをしてルノーの工場がある)ビヤンクールを荒廃させた能力を認めない訳にいかない」と書いている。

また、パリに滞在中の作家の辻仁成氏はブログで、フランスのネット新聞各紙のコメント欄に書かれた一般のフランス人の反応を次のように伝えている。

「ストライキをやっている労働者たちは当然、大金持ちのゴーンさんを敵視しているし,けっこう罵っている。ゴーンさんを肯定的にとらえているフランス人はほとんどいなかったし、代表的な意見としては、特権階級の一部の人間の悪いモデルで許せるものではない、というものだった。」

こうしたフランス一般国民の反応は、日々の生活に追われる一般国民とエリート富裕層との溝の深さを表している。そしてこのことを認識しないと、現在も継続中の年金改革反対の交通ストやデモを十分に理解できないと私は思う。

12月5日の年金改革反対デモ(Jeanne Menjoulet/flickr:編集部)

年金改革は、マクロン大統領の選挙公約の一つで、今月24日にも法案が閣議にかけられる予定だが、歴史的な長さのストと大規模なデモで、先行きは依然として不透明なままだ。

改革の背景には年々悪化する年金財政を立て直したいという政府の意図があるが、これは国民にとって、現在の年金制度より不利な制度に変わるわけだから、なかなか理解は得られないのは当然だ。

しかしそれだけではなく、国立行政学院を出た元エリート官僚で、ロスチャイルド銀行で多額の報酬を稼いだマクロン大統領に象徴される富裕層エリートと一般国民の間の深い溝が、政策の実現を大きく阻んでいるのだ。

実際、ゴーン氏に限らずフランスのエリート層の中には、一旦エリートの地位を手に入れると特権的な地位を乱用して多額の報酬を受け取ったり、自分たちは一般国民とは違うという意識が強すぎて、順法精神に欠ける行動をする者も少なからずいて、それがしばしばスキャンダルとなってマスコミをにぎわしている。

マクロン大統領が選出された前回の大統領選挙の際には、最有力候補だったフィヨン元首相が、勤務実態のない妻や子に議員スタッフなどの名目で長年にわたり累計100万ユーロ(約1億2千万円)を超える多額の報酬を支給したことが暴かれて、選挙に負けてしまった。彼と妻の刑事裁判はようやく来月始まる予定だ。

また、今回の年金改革の実現のために政府が任命した上級コミッショナーのドゥルヴォワ氏は、政府のポスト以外に同時に13の民間セクターのポストについて報酬を得ていることを法律に反して申告していなかったことがバレて、ストが燃え盛り始めた去年の12月半ばに辞任に追い込まれた。

しかしマクロン政権は、このようなことがあっても国民感情を十分に理解していないのか、しようとしないのか、今年1月1日のレジオン・ドヌール勲章の叙勲発表で、また国民感情を逆なでした。

それはアメリカの大手資産運用会社ブラックロックのフランス法人であるブラックロック・フランス会長のジャンフランソワ・シレリ氏のレジオン・ドヌールのオフィシエ勲章叙勲に関係する。

シレリ氏は元経済財政省の官僚で、若い頃は通称パリクラブという公的債権の繰延会議の事務局長として後に欧州中央銀行総裁になったトリシェ議長を補佐していた。私もフランス大使館勤務時代にこの会議に出席していたのでシレリ氏は良く知っているが、大変有能な人物だ。

その後彼は、シラク大統領やラファラン首相の側近として経済政策の策定に携わった後、2004年に当時のフランスガス会社(GDF)の社長に華麗に天下った。そしてGDFがスエズという水道やエネルギーを扱う会社と合併するとその合併会社(現在の名称はEngie)のナンバー2となり、2016年からブラックロック・フランスの会長をしている。

そのシレリ氏の名前が官報に叙勲者として掲載されるやいなや、早速ツイッターで批判が沸き起った。それはシレリ氏がブラックロックの手先となって政府と癒着し、フランス国民の年金積立金の運用でブラックロックに儲けさせようとしていると思われたからだ。

フランス共産党のファビアン・ルーセル書記長は「ジャンフランソワ・シレリに対するレジオン・ドヌール叙勲は挑発だ。マクロン大統領と金融界の癒着を表すものだ」とツイートし、フランス社会党のオリビエ・フォール第一書記もツイートで「ブラックロックは年金改革の暗部でしかない」と批判した。

そしてこうした批判は左翼からだけでなく、右翼の“立ち上がれフランス”の二コラ・デュポンエニャン総裁も「(アメリカの)傭兵が汚すレジオン・ドヌールを浄化せよ」と主張している。

就任以来、富裕層に偏った政策をとっていると批判を受けているマクロン大統領が、どこまで国民の気持ちに歩み寄って一般国民との間の溝を埋められるのか、フランスのエリートの精神構造に根差す問題だけに、なかなか困難が予想される。

有地 浩(ありち ひろし)株式会社日本決済情報センター顧問、人間経済科学研究所 代表パートナー(財務省OB)
岡山県倉敷市出身。東京大学法学部を経て1975年大蔵省(現、財務省)入省。その後、官費留学生としてフランス国立行政学院(ENA)留学。財務省大臣官房審議官、世界銀行グループの国際金融公社東京駐在特別代表などを歴任し、2008年退官。 輸出入・港湾関連情報処理センター株式会社専務取締役、株式会社日本決済情報センター代表取締役社長を経て、2018年6月より同社顧問。著書に「フランス人の流儀」(大修館)(共著)。人間経済科学研究所サイト