呪いの言葉というものがある。たとえば、麻生太郎の一連の発言はそうだ。年明けから失言のオンパレードだ。愛読紙朝日新聞が不祥事と、その謝罪を報じている。
麻生氏、「一つの民族」発言を陳謝「おわびのうえ訂正」(朝日新聞デジタル)
この発言は罪深い。謝っているようで、「俺は悪くない」と言っているように聞こえる。
「誤解が生じているのならおわびのうえ訂正する」
「誤解が生じているなら~」というのは自民党の政治家たちが使う呪いの言葉だ。自分たちは悪くないと言っているように聞こえる。ある特定の支持者に対してアピールしているようにも聞こえる。
彼らの表現力が乏しいわけでも、国民の読解力が低いわけではない。生じているのは、誤解ではなく、不快感だ。国民をバカにするのもいい加減にしてほしい。
マスコミと政府が麻生太郎の差別発言を非難すべき理由─「一つの民族」発言は不適切発言ではなく人種差別撤廃条約に違反するヘイトスピーチだ(梁英聖)
麻生太郎への怒りは燎原の火のように燃え広がりつつある。梁英聖同志が、警鐘を乱打しているので、ご一読頂きたい。
麻生太郎、および自民党議員たちの野蛮性と凶暴性、欺瞞性と瞞着性がこのうえもなくむきだしになっているではないか。この反労働者性を満天下に暴きだす闘いを展開するのでなければならない。満腔の怒りを込めて弾劾せよ。
このような、呪いの言葉に慣れてはいけない。私はちゃんと怒りをあらわにした。この哲学をおのれの背骨とするために努力するのでなければならない。怒りのうねりを創造せよ。
不愉快な話が続いたので、私と娘の元気が出る写真を掲載しておこう。「麻生節」なる言葉で片付けてはいけない。政治家を甘やかしてはいけないのだ。
編集部より:この記事は常見陽平氏のブログ「陽平ドットコム~試みの水平線~」2020年1月14日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿をお読みになりたい方は、こちらをご覧ください。