イランIRNA通信が1月16日報じたところによると、日本の奈良文化財研究所が「西暦736年に少なくとも1人のペルシャ人が奈良に住んでいたことを証明する木簡が見つかった」という。NHK放送が報じたものをIRNA通信が伝えた。日本とイランの両国関係はこれまで考えられてきた以上に長い交流の歴史があったことが分かる。
木簡は50年前に平城宮発掘調査で発見されたが、木片に書かれた文字を当時読み取ることができなかったため、そのまま保存されてきたという。
このほど古代の木片の一部を赤外線を使用して解読したところ、少なくとも1人のペルシャ人が8世紀に奈良に住んでいたことが判明。そのペルシャ人は多分、宮廷で天皇の教育者として働いていたのではないか、という。
日本の史書「続日本紀」によると、ペルシャ人は中国を経由して日本に入国したとみられ、天皇は彼に位を与えたという。木簡に書かれた文字をみると、1人のペルシャ人が奈良の平城京に行き、そこで「はしの・きうみち」という日本語名をもらっていたというのだ。
日本の読者の皆様は既にこのニュースをご存じだろうが、欧州に住んでいる当方は初耳で、正直言って驚いた。と同時に、イエスが2000年前、十字架にかからず生き延び、エルサレムから長い道を経て日本まで流れ着いたという伝聞があるが、にわかに「ひょっとしたら、考えられる話だな」と思い出した次第だ。
日本の東北各地にユダヤ教の神をまつる遺物が見つかっている。神輿を担ぐとき、「ワッショイ、ワッショイ」と声を掛け合うが、その日本語がユダヤ人が幕屋を担ぐ際の掛け声に似ていることから、日本に来たユダヤ人が伝えたのではないか、といわれてきた。
当方は多くのイラン人(ペルシャ人)を知っているが、彼らは一様に親日派で、勤勉で頭のいい民族、という印象を持っている。ペルシャ人とアラブ人はその性格や言動がかなり異なる。イランは2015年、欧米諸国らと13年間継続してきた核合意を締結したが、アラブ人ならばできない忍耐強さだろう。
21世紀の今日、「イラン」と言えば、核問題が直ぐに思い出される。そのうえ、イスラエルとイランは政治的、軍事的に敵対関係で、イスラエルはイランのシリア支援やレバノンのヒズボラ支援を強く批判してきた。
一方、イラン側は、「イスラエルは核兵器を保有している」と指摘し、パレスチナ人への弾圧を批判してきた。イランのマフムード・アフマディネジャド前大統領は、「イスラエルを地上の地図から抹殺してしまえ」と暴言を発し国際社会の反感を買ったことがあるほどだ。
しかし、歴史的にいえば、ペルシャ民族はイスラエル民族の恩人であり、ユダヤ教が今日のように発展した宗教とはなったのはペルシャのクロス王のおかげだ。歴史的には民族の恩人だ。ホロコーストを忘れないユダヤ民族はペルシャのクロス王の恩を忘却できないはずだ。
参考までに、イスラエルのユダヤ教の発展は、ペルシャで奴隷の身にあったユダヤ人に対し、ペルシャの当時のクロス王がユダヤ人の祖国帰還を許してから本格的に始まる。サウル、ダビデ、ソロモンの3王時代を迎えたが、神の教えに従わなかったユダヤ民族は南北朝に分裂し、捕虜生活を余儀なくされた。
北イスラエルはBC721年、アッシリア帝国の捕虜となり、南ユダ王国はバビロニアの王ネブカデネザルの捕虜となったが、バビロニアがペルシャとの戦いに敗北した結果、ペルシャ帝国下に入った。そしてペルシャ王朝のクロス王はBC538年、ユダヤ民族を解放し、エルサレムに帰還させたのだ。
なぜ、ペルシャ王は捕虜だったユダヤ人を解放したかについて、旧約聖書の「エズラ記」によると、「ユダヤの神はペルシャ王クロスの心を感動させ、ユダヤ人を解放させ、エルサレムに帰還させた」と説明している。今から約2550年前の話だ(「ユダヤ教を発展させたペルシャ王」2017年11月18日参考)。
話を奈良時代に戻す。奈良時代にペルシャから渡来した人間が言葉も分からない中、生きていたというニュースはやはり驚きと同時に、ペルシャ人の生命力には感動する。奈良時代、どのようなペルシャ文明を残していったのだろうか、想像するだけで非常にロマンがある。
安倍晋三首相は昨年6月、イランを訪問し、同年12月にはロウハ二大統領が訪日した。日本とイランの両国関係は原油の「生産国」と「輸入国」の関係だけではない。ペルシャ人が奈良時代にいたことが分かり、両国間で久しく文化交流があったことが想像できるからだ。
グローバリゼーションなど程遠かった奈良時代に、ペルシャ人が長い道のりを克服し、海を渡り奈良にきて、定着したわけだ。一説によれば、アラブ人の攻撃を受けた一部のペルシャ人が唐経由で奈良まで流れ着いたという。
いずれにしても、「ペルシャ人が奈良時代に住んでいた」というニュースは日本とイラン両民族の絆を感じさせる。IRNA通信がホームページで大きく報道したのは頷ける。
編集部より:この記事は長谷川良氏のブログ「ウィーン発『コンフィデンシャル』」2020年1月18日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿を読みたい方はウィーン発『コンフィデンシャル』をご覧ください。