北村誠吾地方創生担当相(72)の答弁をめぐって、国会が紛糾している。野党は新型肺炎もそっちのけで彼の失言を引き出すことに熱中し、答弁を補助する官僚の「政府参考人」にも反対している。
こういう騒ぎは珍しいことではない。55年体制では野党が「爆弾質問」を出し、閣僚がそれに答えられないと審議を止めることは日常茶飯事だった。その対策として、局長級の官僚が政府委員として国会に出席する慣例ができた。
これが政治家の官僚依存をまねき、「それは大事な問題ですから政府委員に答弁させます」という閣僚も出てきたため、2001年に政府委員は廃止された。これは政治主導という理念からは当然だが、北村大臣のように当事者能力のない閣僚が多いため、官僚が答弁を準備して「大臣レク」する負担が増えた。
去年の森ゆうこ事件でも問題になったのは、このような国会運営の矛盾が霞ヶ関の現場を疲弊させているということだ。この問題を解決する方法は二つある。
- 政府委員を復活し、局長級の官僚が答弁する
- 官僚を排除し、自力で答弁できる専門家だけを閣僚にする
現状を考えると1しかないが、これだと55年体制に逆戻りだ。小泉内閣で政府委員を廃止したとき、想定していたのは2の方向だった。小泉首相は「1内閣1閣僚」として内閣改造は行なわない原則を掲げ、初期には閣僚の派閥推薦も受けず、当選回数と関係なく有能な人材を配置した。
しかしこれは長く続かず、第1次安倍内閣以降は昔の自民党に戻ってしまった。北村氏のように実績のない政治家にとって大臣ポストは選挙で生き延びるために必要であり、地方創生のような軽いポストなら、普通は問題が起こらない。ところが北村氏は公文書管理の担当だったため、桜を見る会の騒ぎの当事者になってしまった。
こういう問題が起こる根本的な原因は、内閣改造という悪習にある。同じ政権で閣僚を更迭するわけでもないのに入れ替える人事は、世界に類をみない。戦前にもごくまれに内閣総辞職した例はあるが、同じ内閣でポストをたらい回しするようになったのは戦後の吉田茂首相が最初である。
特に内閣改造を活用したのは、佐藤栄作首相だった。彼は7年8ヶ月の任期中に通算9回の組閣を行ない、100人以上を閣僚にした。彼の政治的な実績はほとんどないが、このような人事で党内を掌握し、長期政権を維持した。
その記録を超えたのが安倍政権で、第1次内閣から通算して11回の組閣は憲政史上最多である。安倍首相は安保改正に殉じた祖父の岸信介より、安全運転で寿命の長かった大叔父の佐藤栄作を見習っているのだろう。
人事で求心力を維持するのは、長期政権を維持する強力な武器である。無能な閣僚が「みこし」として官僚機構に担がれると大きな決断はできないが、対米従属に徹すれば、国内政治で何もしなくてもアメリカの支持で党内基盤は守れる。この点でも、安倍政権は佐藤政権に似ている。
野党もこの悪習を批判しない。北村氏のような閣僚は、野党の絶好の餌食だからだ。無能な閣僚が無能な野党の揚げ足取りを誘発して空転する国会が、日本の政治が停滞する大きな原因である。