弁護士の世界でのみ有名、あるいは悪名高いものに、成仏理論がある。原典は雑誌「法学教室」の2006年4月号の「巻頭言」である。この「成仏」という異様な表題の随想的な短文は、当時、東京大学教授であった高橋宏志氏によって書かれたのだが、そこには、「食べていけるかどうかを法律家が考えるというのが間違っているのである」と書かれている。
この「成仏」の背景を理解するためには、掲載当時の法曹界の最大の関心事に触れないわけにはいかない。つまり、これは、司法制度改革がなされ、2004年4月に全国68校の法科大学院が開校し、2006年5月には、最初の新司法試験が実施されるという、まさに、そのときに、発表された論考なのである。
司法制度改革の一つの柱は、法曹人口の拡大だったから、「成仏」は、「法律家が増え続けることになっているが、新人法律家の未来はどうなるであろうか」と書き出されていて、「暗い予想」として、「食べていけない新人法律家が一定数出ると予想するのである」としている。
もちろん、逆に「明るい見通しもある」のだから、要は、「器量と努力次第でどちらにもなる」としたうえで、先に引用したように、食べていけるかどうかを論じるのが間違いだとなるのである。そこで、「何のために法律家を志したのか」と問い、成仏理論の核心部に至るのだが、以下、引用しよう。
「人々の役に立つ仕事をしていれば、法律家も飢え死にすることはないであろう。飢え死にさえしなければ、人間、まずはそれでよいのではないか。その上に人々から感謝されることがあるのであれば、人間、喜んで成仏できるというものであろう。」
要は、飢え死にさえしなければ、それでよかろう、というところが多くの弁護士の反発を招いたのである。法曹人口の拡大といっても、裁判官と検事には定数があるので、多くは弁護士の増大になるのだが、社会の状況は大きく変わっていないから、弁護士の仕事が並行して増大したという事実はなく、結局、現状では、「暗い予想」のほうが優勢なのである。そういうなかで、この成仏理論が怨嗟の的になるのも肯ける。
もっとも、余談だが、おそらくは、成仏理論が批判される本当の理由は、東京大学教授という立派な肩書のもとに発言されたことと、高橋宏志氏は、退官後も、中央大学教授、森・濱田松本法律事務所客員弁護士、東京大学名誉教授という輝かしい経歴を歩まれたことである。こういう身分の方から、君らは成仏、といわれれば、多少、感情的反発を覚えるのも、やむを得ないであろう。
森本紀行
HCアセットマネジメント株式会社 代表取締役社長
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