吉田茂は、なぜサンフランシスコ講和条約を結ぶことができたのか?
なぜマッカーサーからも信頼を得ることができたのか?
『小説 吉田学校』や『落日燃ゆ』を読んでも、あまりしっくりこない。
「ばかやろー」と叫ぶ気分屋のようなイメージが強い。
『落日燃ゆ』では、広田弘毅にスポットを当てるため、外務省同期の吉田茂は人事や権力を計らう人として描かれている。もっとも、城山三郎はある講演の中で、何事も徹底的にやるのがいい、として計らう吉田茂のことも認めている。
『父 吉田茂』は、牧野伸顕の孫娘、吉田茂の娘、麻生太郎や寛仁親王妃信子の母である麻生和子が父の生涯を振り返った本。
身内が書いているので美化されているところもあるのだろうが、
◯何事も本音で話す。
◯イエス、ノーをはっきりさせる。
◯相手が誰でも筋や正論をとおす。
「時の政府に真っ向から反対する立場にあって、国を代表するわけにはいかない。」と念願のアメリカ大使を断ることも。
◯ばかやろーと叫んでも、引きずらず、翌日はけろっとしている。
◯日頃はユーモアやダジャレが多い。
◯仲間と食事をするのが好き。
◯お金には無頓着。
◯中国勤務や3年間にわたる待命など不遇のときも家族にも一切愚痴を言わない。
という姿が見えてくる。
そして、運がいい人なのだろう。
麻生和子自身も2・26事件では九死に一生を得るが、吉田茂自身も、戦争中の近衛文麿の上奏文に連座して憲兵に捉えられ1か月間刑務所で過ごすが、逆にそれが戦後、軍部に抵抗した人として総理大臣に推挙されることとなる。
<井上貴至 プロフィール>
編集部より:この記事は、井上貴至氏のブログ 2020年2月22日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿をお読みになりたい方は井上氏のブログ『井上貴至の地域づくりは楽しい』をご覧ください。