知的公平性の担保と図書館が果たす役割:韓国視察で驚き

図書館はお金の有り無しや身体の具合、居住場所の違いで、知識の偏在を生まないように、知的公平性を担保するためのものでなくてはいけません。日本の公的図書館や大学図書館は、その役割を本当に果たしているのであろうか?出版会社は知的公平性に対して、何を貢献しているのであろうか?疑問を感じ1月中旬、韓国の図書館事情を視察しに行きました。

ソウル市には小さな図書館を含めて約3000の図書館があります。3000か所と言うと驚きますが、日本で言えば自治体の運営する地域毎の地区センターのような場所に図書館機能を持たせているものを含めてということです。それにしても数は多いのです。特にソウル市では市長の政策で、ミニ図書館をつくりたいと考えているグループからの企画書を審査し、それが受け入れられれば補助金が支給され図書館をつくることが出来るそうです。結果として、図書館にはそれぞれ特徴があり、例えば、子供の為の図書館が森林公園の中にあったりします。

飲食を提供するカフェ部門があり、ママはコーヒーを飲みながら、子供はジュースを飲みながら本を読めたり、遊んだり出来るようにもなっています。また、個人が所有する旧家を改装し、高齢所向け図書館が設置されています。施設面も机に椅子だけでなく、高齢者向けに掘りごたつ式の座って本を読めるスペースも用意されています。

 図書館は身近にあることにより知識を得る場所として、知識を中核としたコミュニケーションの場として使用することが出来ます。子供が、高齢者が、1つの本を題材として会話が成されていたら素敵です。韓国の物語を知らないので、日本流に例えるなら「桃太郎は川から来たんだ!」、「桃は畑で出来るのに何で川なんだ?」、「山から転がって来たら、桃太郎は目がまわってしまうよ」こんな会話が子供たちの間で交わされていたら…。

「吾輩は猫である」、「何で猫だったんだ。犬でも良かったではないのか?」、「いや、文鳥の方が上から全体を見ることが出来るじゃないか」こんな会話が高齢者の間で交わされていたら素敵です。コミュニケーションの中心が、本や物語、詩、絵画等であったら人が人でいられる何かをお互いが提供出来ることになり、場所としての中核が図書館となると思うのです。

数多い図書館の管理、貸し出しのシステムはどうなっているのか?基礎自治体ごとにバラバラなのか、国や広域自治体、大学との連携は…。正解は、図書館システムは国が1つ作り、それを自治体や大学が共に使っている、です。WEB画面は、自治体向けに変えることが出来る部分もあります。

例えば、市町村の名前や市長の写真等…。WEBに繋げば、図書館から、書籍の貸し出しを行う為の申し込み画面になります。何処で受け取りたいのかも指定できるのです。自宅は横浜で、長期出張で弘前と釧路と広島に行くと仮定します。貸し出しの申し込みは横浜の自宅でスマホ、書籍の受け取りは弘前の図書館、読み終わったら釧路の図書館や駅で返却。本を借りること、返すことを含めて図書館が本気で身近に感じることが出来ると思うのです。そして、何より便利です。

本が好きで出張の多い僕は、重い本を持ち歩くことに嫌気がさし、ついにリアル書籍を購入することを止めて、キンドルで電子ブックを購入し、キンドルペーパーウエイトで読んでいます。でも、韓国方式ならリアル書籍で読むことを選択できます。

日本では図書や雑誌を出版すると出版社は、国会図書館に出版物を納入することが法律で義務付けられています。だから、基本的にすべてが国会図書館にあるのです。例えば、週刊マガジンの初版本も国会図書館にあります。韓国では、リアルな図書と同時にデジタル版も納入することになっているそうです。国の根幹が、リアルとデジタル版の両者なのですから、自治体が購入する図書も電子ブックとリアルブックということになります。

リアルは購入する個数でカウント、電子ブックは版権の個数でカウントということになります。日本でも千代田区立図書館等の一部の図書館では電子ブックの貸し出しを行っていますが、これは例外的なケースです。

韓国には、披州出版都市という出版企業や本屋、ブックカフェ、博物館、ギャラリー等が集積されている街があります。その出版文化を体験できる地域にはホテルもあります。このホテルの1階巨大フロントロビーには、出版社ごとのエリア、寄贈者ごとのエリアがあり、そこには本がオブジェのように置かれていて、もちろん読むことが出来ます。

本棚は高く広く、あまりの多さに驚くほどです。もちろん、ここにはカフェもあり、レストランもあり、本と共に時間を過ごすことが出来るのです。出版社も、収集家も図書文化を伝えていく努力、電子ブックが中心になっていく時代であったとしても変わらない、本質を伝えていく努力をしているのです。

日本の図書館は、何を提供しているのであろうか?同じ自治体であっても図書が置かれいる場所によって担当部局が異なり、システムも繋がっていない。電子ブックは存在しないのに、図書館の数は少なく身近に借り、返せる環境に乏しい。ましてや大学や県や国の図書館をつなぐような仕組みは存在していない。昼夜逆転しているような仕事に就いている人、所得が低く駅の近くに住むことが出来ない人、公共交通過疎地に住んでいる人、身体に不自由がある人、色々な人がいるのです。

「お金の有り無しや身体の具合、居住場所の違いで、知識の偏在を生まないように、知的公平性を担保出来ているのか?」本当に疑問を感じます。知的公平性こそ何より大切であり、これが担保されていないと競争が不公平になってしまうのです。逆転できる格差社会と逆転できない格差社会、日本はどこに向かっているのだろうか?


編集部より:この記事は多摩大学ルール形成戦略研究所客員教授、福田峰之氏(元内閣府副大臣、前衆議院議員)のブログ 2020年3月13日の記事を転載しました。オリジナル記事をお読みになりたい方は、福田峰之オフィシャルブログ「政治の時間」をご覧ください。