コロナとの戦いは長期戦 ~ 国民の疲弊が怖い

篠田 英朗

314日の安倍首相の会見以降、コロナ問題について、楽観的な雰囲気が出ているように感じる。欧米諸国における混乱ぶりを見て、日本は上手くいっている、と多くの人々が感じている。

危険だろう。

伸び方が欧米諸国より鈍いだけで、感染者も死亡者も右肩上がりで増え続けていることに変わりはない(参照:外務省ホームページ「各国・地域における新型コロナウイルスの感染状況」。日に日に感染者は日本全国に蔓延していっているのだ。2週間前、3週間前よりも、感染しやすいということだ。安心しているような状況ではない。

外務省サイトより:編集部

先日は、「コロナ対策をする国民への感謝の重要性」という文章を書いた。言いたかったのは、WHOのテドロス事務局長が日本政府を称賛したからといって、実際に本当に日本政府が感染者増加抑制のための際立った行動をとったなどという経緯はない、ということだ。むしろ国民一人一人の危機意識が、抑制的結果をもたらしたのではないか、と私は考えている。

もともと握手等の身体接触を行う文化が乏しく、衛生水準が高いという背景に加えて、手洗い・消毒・マスク着用・集団濃厚接触の回避等の自助努力を一人一人の国民が徹底したことが、感染の抑制に寄与したと考えるべきではないか、と私は思っている。

しかしマスクやその他の物資不足などもあり、人々の間には、すでに疲弊感が漂い始めている。「日本は山を越えたのではないか」と思いたい衝動にかられたい時期になっている。しかし国民が他国には見られない努力を停止してしまったら、おそらく他国と同じような状況が広がっていくだろう。

現実には、無発症者も含めると、すでに数万の感染者が日本国内に蔓延していると想定される。ここから撲滅に持っていくのは、相当に大変な作業である。少なくとも数年を要する長期戦に入った、と考えるのが妥当ではないのか。

green garden/写真AC

イギリスのジョンソン首相が「集団免疫」を国家政策の目標とすると述べて、話題を呼んだ。というのは、日本政府がやっているのも、事実上は集団免疫を目指す政策としか思えないからだ。少なくとも客観的にはそうである。

集団免疫が難しいのは、いかに最終的目標を定めても、1年間の感染者を〇〇〇人にする、といった数値目標を管理達成していくことは、ほぼ不可能だからだ。できるだけピークを先送りにするためには、国民全体が撲滅を信じて最大限の努力をし続けるほうがいい、ひょっとしたらその間にワクチンが開発されて普及する可能性だってないわけではない…、と日本の政治家が思いたい気持ちは、わからないでもない。

他方、目標を誤認し、長期戦を短期決戦だと誤認した人々は、疲弊するのが早い。一気に総崩れになる恐れもある、政府は、奇妙な楽観主義に浸ることなく、いい加減に長期的な戦略的ビジョンを提示し、具体的な対策をもっと迅速に打ち出していくべきだ。そうでないと、せっかく稼いだ初動時の準備時間が、すべて水の泡になりかねない。