毎年3月は福島県にとって大事な月です。県庁でも、この3月をターゲットとして、様々な行事を企画していましたが、新型コロナウイルスの影響で、その多くが中止・延期となりました。
私の課では、毎年3月11日に県主催の東日本大震災追悼復興祈念式を企画しています。今回は実施の在り方を悩んだ末、大切な式典を絶やさずに挙行することを最優先し、一般の方の参列をご遠慮いただくなど最小限の出席者とし、インターネット動画で同時配信することとしました(数千人もの方が動画で参列してくれました)。
当日の報道ではコロナの影響が象徴的な行事として、会場内の多数の空席について報じられましたが、厳かな雰囲気の中で、震災で犠牲となった方を悼み、復興への想いを新たにするという目的は果たすことができたと思います。
ご遺族代表の言葉は、川内村の石井芳信さんが読まれました。亡くなったお母さまは、生きていれば現在100歳になるはずで、先日の誕生日にはお母さまの好きな魚の煮つけと、けんちん汁を仏壇に供えて祝ったとのことです。お母さまの死の直後は、なかなか事実を受け入れることができず、四国八十八カ所の巡礼をして、ようやく心のわだかまりが無くなったと述べられました。遺族の皆さんは大切な方を突然に失った傷と、未だに向き合っています。
死をみつめることは、心の痛みをともないます。そのため日常では、私を含め多くの人は死を忘れています(意図的に忘れようとしています)。しかしながら、生と死は表裏一体です。人は必ず命を終える時がくるし、命がいつ終わるのか誰にもわかりません。したがって、生きている我々は、一日一日を丁寧に生きなければならない。震災のときにも感じたことではありますが、この度の式典でも、自分の一度しかない命をいかに生きるか、気持ちを改めることができました。
福島に赴任してから、大切な人を亡くした同僚が周りにいるので、酒など飲みながら思い出を伺う機会がたくさんあります。そのたびに、遠くにあった死が、とても近くに感じられます。今回の追悼復興祈念式もそうです。こうした死との向き合いを経て、私ははじめて赴任した福島のことを自分事として、誠実に捉えることができたように思います。
こうして式典は規模を縮小して挙行できましたが、関連して企画していたシンポジウムやキャンドルナイトなどは、ことごとく中止となりました。これには準備してきた職員も心底がっかりしていました。様々な行事が中止となり、学校生活など穏やかな日常が奪われ、失望するという状況は、現在、国内外あらゆる所で起こっていることかと思います。
このような折、私の上司の部長が自身の経験を踏まえ、「これまでの準備や努力は決して無駄にならない」と、職員たちに熱いメールを送ってくれました。そこに記されていたのは、他ならぬ震災・原発事故当時のことです。周到に準備してきた様々な政策や企画は、あの時すべて吹き飛び、圧倒的なマイナスから9年間、ここまで前に進めてきました。部長はその時の経験があるので、「決して無駄にならない」という言葉に説得力があるのです。
災害、伝染病など、災厄は突然降りかかってきます。自らの頭上に降りかかってきたときほど、信じられないし、信じたくもない。無防備で、忘れた頃にこそやってきて、「なぜ今なの!」と声をあげたくなります。この感染症の無かった時に戻りたいと思っても、そうはできない。あの時、福島に起こったことと同じなのです。
さて、県立の進学校である磐城(いわき)高校は、春の選抜高校野球に46年ぶりとなる出場が決まっていました。競技力はもちろん、学業成績や台風被害後のボランティアなどが評価されての選抜でした。ところが、大会そのものが中止となり、出場が叶わなくなりました。憧れの甲子園のために日々鍛錬してきた選手や関係者の悔しさは、筆舌に尽くしがたいものと思われます。
出場が決定した際に感激の涙を流して喜んでいた野球部の木村保監督は、中止が決まった直後の記者会見では真剣な表情で、「彼らは常に前を向いて『今日できること』をやってきましたし、センバツに選出されたことは間違いないことなので、しっかり胸をはって、自信にして、また一歩前を向いて突き進んでいこうと選手たちには伝えたい」と話しました。野球の指導者としてはもちろん、教育者として素晴らしい姿勢だと感じました。
新型コロナウイルスの影響は、経済・社会多岐にわたり、大変苦しい状況にありますが、このような災厄に抗う姿勢は、福島の復興の歩みに学ぶべきところがあります。それは、磐城高校野球部のように「今日できることをやる」ということだと思われ、その「誠実さ」こそ、この感染症との闘いにおける希望であると考えます。これはカミュの小説「ペスト」で描かれていることに通じますし、デマに惑わされずに目に見えない放射線を正しく恐れ、偏見や差別に屈しない、原発事故後の福島にも通じます。
東京オリンピックのビクトリーブーケに、福島のトルコキキョウが選ばれました。花言葉は「感謝」と「希望」。災厄に抗う誠実さに、ぴったりの言葉だと思います。本年3月11日の内堀知事メッセージでも、以下のとおり紹介しています。「私たちは福島を支えている方々や思いを寄せていただいている方々に『感謝』を伝え、世界中の皆様に『希望』の光を灯し、一歩ずつ進んでいる姿を見ていただきたいのです。」感謝と希望は、災厄の中でも滅失しないと信じています。
我が課の仲間たちも、追悼復興祈念式の縮小、関連行事の中止という不条理に対して誠実に対応してくれました。一人ひとりにお詫びをし、キャンセルし、感謝を伝え、できる限り最大の感染症対策をする。この誠実さこそ希望であり、大げさかもしれませんが人間の尊厳を示すものと思えました。
今月26日には、福島のJヴィレッジから聖火リレーがスタートします。人類が感染症に打ち勝ち、オリンピックが開催され、福島から感謝と希望を発信できるよう、日々の仕事に誠実に取り組んでいきます。
【参考】2020年3月11日の内堀福島県知事メッセージ(日本語・英語、本文・動画それぞれあります)