五輪延期で態度表明を逃げる日本の新聞

だから活字離れが進む

五輪の選手側や複数の国の五輪委員会から「東京五輪の夏開催はもう無理」という声がどんどん発せられています。新型コロナの感染が衛生環境の悪いアフリカに拡大し、株暴落の中心的舞台のニューヨークでは従業員は出勤禁止(自宅勤務)です。

ニューヨーク・タイムズ紙は「五輪中止を(キャンセル・ザ・オリンピック)」という見出しの社説を掲載しました。USAtodayは「練習施設が閉鎖。今すぐ延期を決めよ」と、主張がはっきりしています。英タイムズ紙は「延期は90%確実」という専門家の見解を伝えました。

開催国の日本の新聞こそ、はっきりした自己主張か提言をすべきなのに、逃げています。日本の新聞・テレビは五輪の協賛企業で、利害関係者です。メディアが利害関係者になると、客観的、中立的な報道ができなくなる。その典型的な現象が起きています。

Prachatai/flickr:編集部

日経の朝刊(21日)の社会面を広げてみましょう。「復興の歩み/聖火に重ね/五輪へ宮城で到着式」「住民は元気をくれたと」「復興の火/各地を巡回」とあり、6段の写真も添えてあります。一面のお知らせコーナーでは「東京五輪まであと125日」。本当にそうなのか。

2面には「五輪開催/選手から批判」「IOC・日本政府に逆風」「バッハ会長/違うシナリオ検討」という記事が並びます。社会面の記事は「順調に準備が進んでいる」と、2面の記事は「もう無理だな」と読み取れます。どちらが正しいのか。読者にとっては、こんな新聞は読めないぞです。

この1週間、「東京開催危うし」の情報は増える一方です。多くの国民が関心を持つ五輪なのに、主要な新聞社は社説で取り上げていません。逃げているのです。「延期か中止を」というと、IOCやJOCから「早まったことをするな」と、にらまれる。多額の広告収入が絡んでくるから「延期、中止」は、新聞社として主張しにくい裏事情があることはある。

こういうケースの場合は、IOCやJOC・日本政府などが正式決定した段階で、「やむお得ない決定だ」「JOCは丁寧に説明せよ」と社説は書く。そんなことは言われなくても、分かっている。重要な問題なのに、今こそ社説の出番で、注目されるはずなのに、逃げている。

かなり驚いたのは読売新聞の解説面(21日)の大きなコラムです。「東京五輪の延期は難しい」と、署名入りの大きな見出しです。肩書は調査研究本部客員研究員とあり、読売を代表する筆者でしょう。一頁の半分近いスペースを割いています。恐らく社命による執筆に違いない。

広告収入が多額で、読者対策にもなる五輪特集を次々に掲載できる。だから新聞社としては、新型コロナが終息して、なんとか予定通りの開催にこぎつけたいと願いは分かる。

コラムは「延期という選択肢は現実的か」と自問し、五輪関係筋の話を紹介します。「中止はあっても延期は考えにくい。五輪会場となる施設は2年先まで、各種のイベントの予約で埋まっている。3年先となると、次の五輪まで1年しかなく、中止せざるを得ない」と。

確かに、1年延期でも、たとえば、来年の同じ時期は五輪並みのビッグイベント「世界陸上選手権」の予定で埋まっています。同じ年に、五輪も世界陸上も、というわけにはいかない。人類最速を競う「男子100㍍」は五輪の花であり、世界陸上の花だからです。

こうしたバッティングがあちこちで起きるから、IOCやJOC・日本政府の早期決断が必要なのです。私も19日に「五輪の延期決定が遅れると中止の事態も」というブログを書きました。読売は社説の代わりに、大型コラムで「中止しかない」との選択肢を選んだのかなというと、そうでもない。

コラムは「中止なら7.8兆円の経済損失が発生し、日本経済は大打撃を受ける」「政治責任が持ち上がり、安倍政権を直撃する」と、指摘します。だから中止には反対だというのでしょう。「延期」にも反対、「中止」にも反対か。ではどうすればいいのかを言わない。

もっとも、この金額は広告・CM料収入、観客の来日特需、ホテル収入などを含むわけで、得られるはずだった利益との比較ですから、「大打撃」は誇張です。むしろ新型コロナによる経済停滞、バブル崩壊が「大打撃」になると指摘しなければならないのに、それをしていない。

それでコラムの結論はというと、「世論は冷めている。共同通信の世論調査では、開催できないとの回答が約70%に上った」です。なんだ、やはり「中止しかない」といっているのだろうか。文章からはよく分からない。これでは読者も新聞から逃げる。

日本のIOC委員が「延期すべきだ」「選手が十分かつ公平に準備できていない」という発言をし、米国水泳連盟は「1年延期を」と要請しました。そうした現実に対し、開催国のメディアは、分かる言葉で自己主張をしなければなりません。

五輪が商業主義化してカネがかかり、IOCにも開催国にもカネが入る。ちょっとした景気浮揚にもなり、選挙対策にもなる。現実は、コロナ禍で開催強行すれば難問だらけ、延期・中止しても難問山積です。それが起きた。その連鎖の輪の中にいるメディアこそ率先して、意思を明確に示す時なのです。


編集部より:このブログは「新聞記者OBが書くニュース物語 中村仁のブログ」2020年3月21日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿をお読みになりたい方は、中村氏のブログをご覧ください。