早稲田大学ファイナンス総合研究所顧問の野口悠紀雄さんは以前、「発想力とIQの関係」について次のように述べておられたようです(『致知』2001年12月号)――ニュートンもアインシュタインもあまりIQは高くなかったようですし、学校の成績と発想力は関係がないと考えたほうがいいでしょう。(中略)(ある米国企業の調査結果に依ると、)発想力はIQなどではなく、自分ができると思っているかどうか、という意識のベクトルの差が非常に大きいというのです。
此の「意識のベクトルの差」が発想力に関係するということは、例えば豊臣秀吉が「負けると思えば負け 勝つと思へば勝つものなり」と言っていたり、ナポレオン・ボナパルトが「私はできる、と考えている人が結局は勝つ」とか「能力に限界を加えるものは、他ならぬあなた自身の思い込み」とか言っているのに通ずるところがあるように思えます。
発想が豊かな人は往々にして、『あらゆる事柄において「自分ならどう処すか」と主体的に捉え、選択肢を常に考え続ける人』のように思います。何事でも色々な選択肢を自ら主体的に出して行くような人は、そこに新たなる発想というものも自然と齎される確率が高くなるというわけです。そうした思考法に慣れるためトレーニングを積んで行くことも、大事だと思います。
その上で野口さんの御指摘につき申し上げれば、確かにIQの高低と発想力は余り関係ないのかもしれませんが、IQの高い方で何らかのスペシャリティがあり、そこに精通している方が新たな発想で、御自分の専門外の分野で様々な発信をされておられるようなことも見聞きします。それは、一芸に秀ずれば結果として万芸に秀ずる、ということかもしれません。
人間というのは、一道を極めるべく大変な努力や人知れぬ苦労を重ね行く中で、他の事柄に対しても、それなりの判断力が養われて行くものです。数学者として一芸に秀でていた岡潔先生を例に見ても、関心を持たれていた仏教や教育といった全く違う分野において、晩年様々な論文を書かれ素晴らしいものを残されています。
あるいは、日本人として初めてノーベル賞を受賞された湯川秀樹氏にしても、その評論や文章等を色々見ますと、物理学者でありながら素晴らしいものを残されています。一道に人一倍の苦労をし知恵を絞り切った経験を持つ人物は、やはり他分野でも自然と磨かれ、参考になるアイディアが出てくるのだろうと思います。
何れにせよ、誰もが同じ発言を繰り返していたら、誰も面白いとは思わないでしょう。だからと言って、何でも彼んでも人と違っていたら良いわけではありません。他の人が聞見して面白いと感じるのは、少し違った視点や観点そして「なるほどなぁ~」と思わせる何かが、そこにあってこそです。ベースとなるものを持たぬ人に突然天から面白いアイディアが降ってくる、といった類は極めて稀だということです。発想力とは、その人に何らかのスペシャリティがあり、そこで磨かれた何かがあって、その結果として備わるものではないかと思います。
BLOG:北尾吉孝日記
Twitter:北尾吉孝 (@yoshitaka_kitao)
facebook:北尾吉孝(SBIホールディングス)