昭和・平成史:戦後史観も保守史観も両方デタラメ

八幡 和郎

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先の大戦へ向かった道や戦後についての認識は、両方ともポジション・トークにすぎて客観性に乏しい。また、最近、世界で起きていることについての世界の常識も歴史的客観性を欠くと思う。それを『歴史の定説100の嘘と誤解:世界と日本の常識に挑む』(扶桑社新書)で論じているが、問題提起のつもりでエッセンスを紹介する。

軍部独走の実態

あの戦争は軍部独走で始まったとされる。また、それは明治以来の山縣有朋らが育てた陸軍の伝統の間違った道の結末だというのが定説で長岡出身の半藤一利らはとくにそれを強調する。

しかし、東京裁判で絞首刑になったなかに薩長土肥はいない。むしろ、山縣有朋や桂太郎がいなくなり旧幕府方勢力が復活して軍の統制が取れなくなっというべきなのだが、それはなぜか。

太平洋戦争の敗因

日本は太平洋戦争でアメリカに負けたと思っているが、中国に負けたとは考えない。しかし、本当は中国との対米外交戦争に負けたのである。共和国でクリスチャンも多い中国にアメリカが親しみを感じるのを止められなかったのだ。

空襲で焼け野原になった東京(米軍撮影:Wikipedia)

なぜドイツと組んだのか

戦後史観派はヒトラーの危険は自明の理だったという。しかし、欧米でも共感者は多く、ユダ人のガス室送りは1942年からで危険性予知は簡単でなかった。その一方、東条英機ら親独派はドイツびいきのあまり世界を客観的にみることができなかった。

ヒトラーを訪問した松岡洋右(Wikipedia)

ゾルゲの活躍でKGBに入ったプーチン

コミンテルンの暗躍を戦後史観派は陰謀説と片付ける。たしかに、安直な陰謀論はよろしくないが、ゾルゲ事件が第二次世界大戦の帰趨を決めたと言うほど重要だったことはロシア側がそういっているのである。朝日新聞に都合が悪いことは教えられない。なお、プーチンがKGB入りを志願したきっかけは、少年時代にゾルゲの映画を見たからとされている。

Wikipedia

昭和天皇は新旧憲法の連続性を強く意識

人間宣言で天皇は神から人間天皇になったという考えを昭和天皇は全面否定した。憲法制定祝賀行事にも積極的に出席された。八月革命説も押しつけ憲法論についても昭和天皇は与しなかったのだ。

日本の高度成長が世界を共産主義から守った

日本の高度成長について左翼も保守派も経済偏重だったという。しかし、世界革命でなく民主主義と市場経済で豊かになれることを具現化して自由社会の勝利をもたらしたことこそその世界史的な意味だ。

1970年大阪万博の式典(国立公文書館HPより)

南北分断はアメリカとソ連の責任

左翼や半島人は南北分断も日本の責任だという。しかし、独立するときには戦後の平和条約などに基づいてするのが国際法上の原則であるのに、日本を排除して独立させたことに根本的な問題があるのだ。

ソ連東欧型社会主義の敗北は不可避だった?

1960年代にフルシチョフや劉少奇の自由化路線を取り続けていたら、どうなったか分からないのではないか。

ベルリンの壁崩壊(Wikipedia:編集部)

日本と中国の明暗はどこで分かれたのか

平成がはじまるとき日本のGDPは中国の8倍。それがなぜ逆転したか。そのキーパーソンは大平正芳だった。鄧小平は大平氏のアドバイスを忠実に実行し、日本は一般消費税の導入を遅らせるなど奇抜なマクロ経済政策を40年続けて泥沼にはまり込んでいるのである。

ウェストファリア体制の終焉とは何か

日本のマスコミは英米追従なので欧州統合の高い価値をいまだ理解していないが、世界の向かうところは、EUがめざすものとどう違うのか考えねばならない。

移民・難民への対応をなぜ欧米は誤ったのか

リベラルな価値観は理想を追い求めているが、常に正しい方向とは限らない。イスラム過激主義や移民・難民へなぜ欧米は対応がなぜ甘いか。そのメカニズムを解明することで欧米への反省を促し日本にとっての他山の石とすべきだ。