年金基金等の機関投資家では、組織の頂点に必ず意思決定機関が置かれていて、故に機関投資家と呼ばれるのだが、実質的な投資の意思決定は専門家で構成される運用組織のなかでなされているのであって、機関決定は運用組織内の決定を承認するだけの形式的なものである。
しかし、この形式が重要なのである。つまり、投資判断の帰結に関する経済的な結果責任について、運用組織が負うことはあり得ず、機関決定は、それを機関投資家全体の責任として引き受けるために、換言すれば運用組織を結果責任から免責にするために、なされるのである。
もちろん、結果責任を負わないことと、重い行為責任を負うことは全く別のことである。投資の専門家は、専門的能力に基づいて採用されているわけだから、それが運用成果に生かされないのならば職を失うこともあるという意味で、極めて重い行為責任を負うわけである。
この投資の本知的論点について、資産運用の後進国である日本には、二つの決定的な問題がある。第一に、そもそも、投資運用業界においてすら専門人材の数と質が全く足りておらず、運用能力の貧困が問題視されるわけだが、その顧客たる機関投資家においては、更に深刻な能力不足があって、双方相俟って質の低下の悪循環を招いているのである。
第二に、下部の専門人材を強化しても、頂点の機関決定が機能しなければ意味がないということである。資産運用の先進国である米国では、頂点の機関決定を構成するものに重い責任の自覚があり、故に、責任を果たす努力がなされるのだが、日本では、機関の一定の形式的な責任は定められていても、実質的な責任内容を規定する基準はないので、無責任な無決定が放置されていたり、社会通念上は許されないような不適切、不公正、非常識な基準による判断が横行したりするのである。
その頂点の欠陥は、当然に、高度専門人材の活躍する余地を狭め、故に、専門家が育たず、故に、決定機関を構成できるだけの資質を備えた人が不在となり、故に、資産運用の高度化を妨げるのである。さて、この深刻な悪循環、どうしたら断ち切れるのか。
森本紀行
HCアセットマネジメント株式会社 代表取締役社長
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