コロナ対策の休業要請で新聞論調に優劣

中村 仁

明確な主張が必要な段階

コロナ危機のように、大人から子供まで、大企業から零細企業まで、医療から教育・保育まで、さらに世界全体に影響が及び、種々の主張や意見が飛び交うテーマは50年に1度、あるかないかでしょう。誤解や錯覚による解説・解釈も少なくなく、そういう時こそ新聞が世論形成に存在感を示してほしい。

緊急事態宣言を受け臨時休業に入った銀座の商業施設(編集部撮影)

日本においては、改正インフルエンザ対策特別措置法をもとに、安倍首相が緊急事態宣言を出し、都道府県が具体的な危機対策を次々に提示しています。その際の難問は休業要請であり、政府と東京都の対応が対立し、決定まで時間を空費してしまいました。

コロナ対策の焦点である休業要請を新聞はどう捉え、どのような主張をしたか。新聞の社説で最も明解だったのは日経新聞で「休業の要請に待ったをかけた国は猛省を」との見出しです。次いで毎日新聞の「政府の危機感が足りない」が社説として、主張がはっきりしています。

失望したのは朝日新聞の「混乱を教訓に国と都は連携を密に」と、読売新聞の「国と連携しつつ対策を進めよ」です。国にも問題、都にも問題があるという指摘です。そんなことは分かりきっている。特に読売の「混乱が起きないように丁寧な説明が欠かせない」はいただけません。社説で明解な主張をしにくくなると、「丁寧な説明を」で逃げる。こんな言い方は読売に目立ち、もう死語にしてほしい。

コロナ対策の最大の攻撃目標は、新型肺炎による死者数の抑制です。各国の医療制度や社会システムにばらつきがある。その違いを乗り越えコロナ危機の深刻度を国際比較できるのは、感染者数や致死率でもなく、中国を除けば、死者の数字をごまかせない死者数です。

その死者数を抑える防波堤が「医療崩壊」(病院機能のマヒ)の阻止です。日本救急医学会と日本臨床救急医学会は9日、「医療従事者が使う感染防護服も圧倒的に不足し、救急医療体制の崩壊をすでに実感している」との声明をだしました。「医療崩壊は医療の入口にあたる救急部門から始まる」そうです。

医療崩壊が目前に迫っている時に政府や自治体は何をなすべきか。日経は「休業要請は外出自粛とともに人の接触機会を8割減らす対策の両輪だ。政府は外出自粛の効果を2週間みたうえで休業を要請する方針を示している。それでは効果が薄まる」と、政府を厳しく批判しています。

「8割という目標は根拠があいまいだし、不可能な数字」と指摘する論者がおります。高い目標を掲げても、5、6割しか達成できないかもしれませんから、目標は高く掲げていいのです。

毎日新聞も厳しい指摘です。「外出自粛の要請だけで、感染が収束に向かうことを期待しているなら危機感が足りない」「緊急事態宣言を発令する前に調整しておくべきだった」と、政府が休業要請を先送りしているのを問題視しています。正しい指摘だと思います。

朝日は「外出自粛の効果をみてから休業要請に進むという二段階論は説得力を欠いた」と言いながら、「都の当初案も広く網をかけすぎた」と、両者を批判しています。こっちもあっちも悪い、というのは安易な主張です。さらに「自由と権利への制限が必要最小限となるよう十分な意思疎通を」と書いています。抽象的です。ではどういう案がいいのかを言わない。

読売は「お互いの信頼関係を醸成し、きちんと調整しながら、対策を進めることが重要である」と。そんなことは分かりきっており、書く意味はない。「感染拡大を防ぐための対策は一刻を争う」も当然すぎ、「各自治体は必要な手立てを遅滞なく講じることが求められる」も、言わずもがなです。

国や自治体の財政事情は深刻です。今は戦時並みの財政出動が必要な時です。今回のような感染症危機、大震災、自然災害などのためにこそ、財政に余力を残して置かなければならない。それなのに、安倍長期政権は平時が続いたのにもかかわらず、100兆円を超える年間予算を3年にわたり計上し、主要国では最悪の財政赤字を拡大してきた。そのことへの批判を各紙は指摘すべきでした。

最後に、医療危機のような問題は、「地元の事情に通じた知事が総合判断するのが望ましい。国が細部にまで介入すべきではない」(日経)は正解です。「政府は経済への影響を懸念した」(読売)はどうでしょうか。「経済の影響」が重要な判断材料だとしても、「業界の圧力を受け、政治がその利益代弁者のような存在になってはならない」と、クギを刺しておくべきでした。


編集部より:このブログは「新聞記者OBが書くニュース物語 中村仁のブログ」2020年4月11日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿をお読みになりたい方は、中村氏のブログをご覧ください。