私はFC岐阜時代『運転手社長』でした

2014年7月某日、当時FC岐阜の社長の私はスタッフ4〜5名とビール工場に向かっていました。次のホームゲームは平日のナイター、よって集客手段として『スタジアムビアガーデン』を企画して、そのPRのためにビール工場を見学させて頂き記事にする目的でした。

私は超下戸な上、ビールの美味しさが全くわからない人間です。それに対して同行したスタッフは揃って呑んべえでした。見学の最後にビールの試飲がありました。私は『帰りは私が運転するからみんな飲んでいいよ!』とスタッフに伝えました。するとスタッフ全員水を得た魚のように試飲を楽しみ始めました。そんなスタッフを見るのが好きでした。帰りは普通に私の運転で帰りました(笑)

また、当時のFC岐阜は本当にお金がなかったので、アウェイ戦は北海道と九州以外は車で行ってました。その時もスタッフを休憩させるためにハンドルを握ったこともありました。私はそんな社長でした。

お金を使わずに如何にお客様を楽しませるか?この共通認識の元、誰のアイディアも積極的に取り入れるフラットな組織を私は目指していました。結局『俗人的な中途半端な組織』しか作れませんでしたが、私には最高に楽しい時間でした(^ ^)


この記事は、株式会社まんまる笑店代表取締役社長、恩田聖敬氏(岐阜フットボールクラブ元社長)のブログ「ALSと共に生きる恩田聖敬のブログ」2020年4月11日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿をお読みになりたい方はこちらをご覧ください。