金くれぬなら協力しなくて良いというのは“テロ教唆”

八幡 和郎

日本共産党FBより

新型コロナ対策で日本人はすっかり金の亡者になってしまったようだ。収入が減ったわけでもない。むしろ使い途がなくなってお金が余っているはずの人までもが「面白くないから10万円よこせ。それをケチる政府は許せない」から協力などする気がわかないという。「せっかくもらえると思って楽しみにしてたのに」ということらしい。政府が困っている人に手厚くと思ったのが気に食わなかったようだ。

蔓延を防ぐためにしばらく休業するのも、「損失補償と一体でなくては嫌だ」というが、別に人のために休業するのでなく、自分たちが感染しないため、早くもとの賑わいを回復するためにも必要なことだ。それに補償は馴染まない。

それを、なんと公党までが「金をくれないなら協力する必要なし」ということを正当化していると受け取られるようなポスターを貼っているが、もはや、これはもはや新型コロナウイルス・テロの「教唆」に近い非常識な振る舞いで許せない。

あるいは、「緊急事態宣言を解除して補償を!安倍は辞めろデモ」などする輩もいる。これも「金をよこさぬならウイルスをばらまく」といっているに等しい。

関西共同行動HPより

私はそれが有効な普段なら給付金もありうるし、補償金はおかしいが協力金や見舞金などもありうると思う。しかし、それがなければ協力しないというのは見当外れではないか。

MMT理論が日本人を無責任にした

さらに、困ったことに、日本人には、新型コロナ対策で政府が使った支出は、いずれ、増税などして国民が負担して返すことになるという意識がまるでない。ヨーロッパなどでもたいへんな支出をしているが、いずれ増税や財政緊縮で負担するべきことは覚悟しているのだが、日本人はそれが必要なんてまったく思っていない。

MMT理論など私はまったく支持できないし、少なくとも世界のほとんどのエコノミストが危険だといっていることは認めてもらわないと困るが、MMT理論の支持者でも、デフレが収まったら増税することや財政を緊縮することなどを否定しているのでない。しかし、このごろは、日銀引き受けでの国債発行は無限にできるといわんばかりの主張がSNSでは多い。国の経済が破綻しても困るのは国債などをもっている大企業だけで、庶民は困らないとかいう珍説を見て驚愕した。MMT理論の鬼っ子とでも言うべきだろう。

休業補填も考えれば考えるほど不公平

休業補填というのも、考えれば考えるほど、簡単な問題ではない。ヨーロッパのように全面ロックアウトなら、ほとんどの企業や個人の収入が減るのだから、援助するのも公平なところがある。

しかし、日本は全面ロックアウトでない。どこかに手厚くしようとすれば不公平感も目立つ。レストランは休業手当を受けられても、仕出し屋や料理屋向けに材料を入れている店も休業要請されてない。

テナント料を払えないからなんとかというのも、まず、自分で購入してローンを払っている人との不公平はどうするのか。また、家主のほうも、それで細々と生計を立てている人も日本には多いから、家賃下げろというのも酷である。