総理記者会見の概要
緊急事態宣言の延長決定を受け、安倍総理大臣は4日夜、記者会見した。今月14日をめどに専門家から意見を聴き、可能な場合は、今月31日の期限を待たずに、宣言を解除する考えを示すとともに、「コロナの時代の『新たな日常』を作り上げなければならない」と新たな生活様式に取り組むよう呼びかけた。
「国立感染症研究所によれば、中国経由の第一波の流行は抑え込むことに成功したと推測される。欧米経由の第二波も、感染者の増加はピークアウトし収束への道を進んでいる。みんなで前を向いて頑張れば、きっと困難も乗り越えられる」と呼びかけた。
ピーク時と比べ全国の感染者数が3分の1まで減少したとして、「収束に向けた道を着実に前進している」が、一方で、感染者の減少が十分なレベルと言えず、医療現場が過酷な状況にあるとして、「もうしばらく努力を続けていかなければならないと率直に伝えたい」とした。
1日当たり回復者数を下回るレベルまで新規感染者を減らしたいので、対象地域を全国としたまま、宣言を延長したという(平均的な在院期間が2週間から3週間で、新規感染者数を低い水準におさえながら、退院を進めるために1か月程度の期間が必要と判断した)。
「当初予定していた1か月で、宣言を終えることができず、おわびを申し上げる。中小・小規模事業者がこれまでになく厳しい経営環境に置かれている苦しみは、痛いほど分かっている。さらに1か月続ける判断をしなければならなかったことは断腸の思い」と胸中を述べた。
そのうえで、経済対策を盛り込んだ補正予算の成立を受けて、給付金の支給を急ぐとともに、賃料の支払いが困難な事業者の負担軽減や、雇用調整助成金のさらなる拡充、それに、生活が厳しい学生への支援について、与党内での検討を踏まえて、追加的な対策を講じるとした。
そして「ある程度の長期戦を覚悟する必要があり、経済社会活動の厳しい制限を続けていけば、暮らし自体が立ち行かなくなりコロナの時代の『新たな日常』を1日も早く作り上げなければならない」と指摘した。
感染者や医療従事者への差別や偏見が問題となっていることについては「ウイルスよりも、もっと大きな悪影響を私たちの社会に与えかねない」「差別など決してあってはならない」と訴えた。
解説:中庸を得てきめ細かい対応だが思い切りの良さに欠ける
打ち出された対策は、総じて言えば、やや医療面の配慮に傾きすぎる感はあるが、バランスの取れた中庸の判断である。医療崩壊を避けるということをもっとも重視して軸足を置いて、退院者数が新規入院者を下回るのに一か月かかるということである。
しかし、それと同時に、7都道府県以外を中心に自粛の緩和を進め、さらに、14日の専門家の判断で前倒しの解除もあるとしたことはいいことである(一部の都道府県の解除か不明だが)。
経済対策については、中小企業への助成金の支払い開始を「5月8日」というべきところを「8月」と言い間違ってそのまま進み、あとで修正したが、これは印象としては痛恨ミスだ。しかし、それを除けば、家賃補助、学生への援助の検討も含めてメニューとしてはそろっており、求められるのは迅速さであろう。
マスコミの論調をみると、「経済優先はおかしい」といってみたり、「この数字になったらといえ」とか「国民はもう耐えられない」、「精神的な要素も大事」、「自粛が経済を沈滞させて人命を失わせる」などと言いたい放題で、それならMMT論者のように、「財政赤字無視でいい」と言い切るのかと言えば、そういう乱暴な論理にはどうもついて行けずといったところだろう。
私は、もう少し、国民に苦いことを言うべきだと思う。国民に詫びるのかと聞かれて「責任を感じるという意味でお詫びしたい」とかいっていたが、戦争責任とかいうことなら、絶対に詫びたりしないのに、国内だと総理の責任でも何でもないことで安直に詫びているからますます国民を甘やかしている。
「命を守るためにこそ新たな日常をつくらなければならない」というのは、正しいのだが、それなら、「元の日常には戻らない」「めざすのは新しい社会で企業の人もそれに成功した人が勝利者だ」となぜはっきり言わないか物足りない。
対策にしても、私が常々、主張しているような「禍を転じて福と成そう」とか「日本経済再建の千載一遇のチャンス」というほど前向きではない。
橋下徹氏が「国税庁と年金機構を合わせて『歳入庁』にし、マイナンバーと預貯金口座と所得・年金情報を紐付け一括管理する行政インフラを整えておけば、所得制限付きの現金給付など超簡単にできるのに」「今後のことを考えて、日本の政治行政は今までできない言い訳を重ねてサボってきた行政インフラ整備に取り組め!」と主張しているが、その通りだ。総理も9月入学問題も含めて未来指向をはっきり言うべきである。
より強い強制権限を定める立法についても、必要があれば、ということであったが、急に立法できるものでないのだから、法案をいつでも出せるように準備し議論を始めるべきだろう。
PCR検査についての鈍感な尾見氏の言動
医療問題については、峠を越したというのが共通認識だったのか、記者からの質問でもあまり鋭い質問は出なかった。
そのなかで、PCR検査が(当初、無闇にしていなかったのは間違ってなかったと思うががいまの状態は私は大いに不満である)なかなか増えないことについて、主に尾見茂氏(諮問委員長)が答えていたが、その内容は首を傾げるばかりだ。
PCR検査は従来の日本で余り必要がなかったので基盤がない(韓国や中国と比べたらそうだが欧州などに比べてそんなはずがないのだが)、急に増やそうにも「保健所などのリソースがない」、「検体採取などがマスクなどが足りないのも問題だ」、「民間機関にやらせるのには都道府県との契約が必要だ」、「検体を運ぶのに面倒がある」、「検査をする人のトレーニングが必要だ」などと、いずれも本当だろうが、それなら何をのんびりこれまでしてきたのかと言いたい話ばかり。
これについてだけでなく、新型コロナ対策の遅れで何が問題なのかと言えば、私はかねてより主張しているのだが、結局のところ、日本の医療界が狭いシマごとの既得権益とか独占分野への固執、自分たちのこれまでからの流儀へのこだわり(しばしば、過剰な質を求めすぎ)、分野を超えての人材投入へのムーブメントのなさ(なぜPCR検査にしろ人工呼吸器の扱いにしろ他分野の医師たちが緊急に習得してやろうという意欲を医師の世界として持たないのか)などで、機能していないというただひとつの原因に期すると思う。個人個人は一生懸命やっておられるだろうが、諸外国に比べて医療システムとしては機能不全なのである。
私は総理をはじめ政治家は、「なんでもバックアップするから医療界上げて頑張ってくれ」と叱咤激励することを躊躇するべきでないと思う。遠慮しすぎだと思う。
そんななかで、東京など各地の医師会などがPCRセンターの立ち上げなどに協力して体制ができてきたことには、遅すぎると思うが希望が見えてきたと思う。