オーストリアの首都、ウィ―ン市の議会は戦後75年間、社会民主党(前身社会党)が政権を独占してきたこともあって、音楽の都は「赤の砦」と呼ばれてきた。人口は約190万人で独バイエルン州ミュンヘン市より多く、年々増加傾向にあるので200万人都市入りも間近だ。
ウィーン市の現市長はミヒャエル・ルドヴィク市長。2年前に24年間余り市長を務めたミヒャエル・ホイプル氏からポストを引き継いだ。ホイプル氏の前は親日派で、有名な女優を奥さんにしていたヘルムート・ツィルク氏だった。
当方はツィルク氏とは一度、市長室でインタビューしたことがある。会見後、市長が「君が必要ならば、いい家を紹介してやるよ」といわれた時は驚いた。いい悪いは別として、縁がある人間には何とか世話をしようとするのはツィルク市長だけではなく、当時の社会党政治家の政治のやり方だった。世話をすることで、多くの人脈を築いていく。今の目でみれば、腐敗と汚職の温床ともいえる。当方は当時、住んでいたアパートに満足していたから、市長のオファーを丁重に断ったが、そうでなければ今頃、ウィーン市長が探し出してくれた身分不相応なアパートの住人となっていたかもしれない。
多忙な読者に昔話をするためにこのコラムを書き出したのではない。中国発新型コロナウイルスが欧州に感染を拡大している現在の話だ。当方は依然、ウィーン市に住んでいる。そのウィーン市のルドヴィク市長(59)から最近、2回、グートシャイン(商品券)が届いたのだ。当方だけではない。新型コロナ感染リスク年齢に属する市民に対して贈られてきたのだ。妻と当方に2枚のタクシー券が封筒に入っていた。
新型コロナの感染リスク年齢にいる高齢者が感染の恐れが高い公共交通機関を利用しないように、タクシー券を送ってきたのだ。日本の安倍晋三首相が国民に2枚の布マスクを送ったという話は聞いていたが、ウィーン市長はタクシー券だ。マスクとタクシー券の違いはあるが、なんと温かい配慮だろうか。
オーストリアの隣国イタリアの北部ロンバルディア州ベルガモ市で連日、新型肺炎による死者が出、メディアで大きく報道されていた時だ。高齢者の市民にタクシー券をプレゼントするというアイデアのユニークさに感動を覚えたし、外国人住民の当方にも同じように商品券を贈るウィーン市長の度量の大きさに脱帽した。その上、外出規制の為、利用者の減ったタクシー業者にも支援となる。今のところ、遠くまで出かける用はないので、タクシー券はまだ利用していない。
ウィーン市長の市民思いはタクシー券に留まっていない。6月中旬から9月にかけ、ウィーン市全住民に1人25ユーロ(約2900円)、一世帯で50ユーロのレストラン、カフェなどの飲食券を贈るというのだ。コーヒーが大好きな当方はまた大感動した。25ユーロの商品券だったら、喫茶店でウィーンのコーヒーを5回以上楽しめる。ルドヴィック市長の市民思いには限界がないのだ。市関係者によると、同商品券提供のために約4000万ユーロの予算が計上されているというのだ。
レストラン・喫茶店用商品券は新型コロナ対策で営業閉鎖を余儀なくされたレストランやカフェなどの飲食業界の経営者を救済する狙いがあるという。クルツ政権は新型コロナ救援策として380億ユーロを計上しているが、レストランや喫茶店の支援まで手が届いていない面もあって、業者から政権批判が飛び出している。野党の社民党のルドヴィク市長には、レストラン・喫茶店用商品券を食事やコーヒータイムに利用してもらうことで、市民もレストラン経営者もウインウインでハッピーとなる、という計算があるわけだ。
それにしてもウィーン市長はなんと市民思いの政治家だろうか。国民1人当たり10万円を支援するという安倍晋三政権に負けてはいない。日本とは違い、ウィーン市では市長のアイデアを批判したり、中傷する厚かましい市民はいない。その点,ウィーン市長は日本の総理大臣よりも幸いだ。贈物を送った先の国民から文句や苦情ばかり聞かされれば、安倍首相でなくても嫌になってしまうだろう。
ここでこのコラムを終えれば、事実を不十分にしか伝えないことになるだろう。やはり最後まで書くことにした。ウィーン市議選が10月11日に実施される。新型コロナの感染が終息していなかった場合、投票日が変更されるかもしれないが、現時点ではほぼ実施される予定だ。
ウィーン市議選のことを最初に書けば、賢明な読者は「タクシー商品券もレストラン商品券も有権者の獲得を狙った選挙対策だよ」といわれるのが落ちだから、当方は意図的に書くことを控えた。「ルドヴィク市長は再選を果たすために、社民党の支持基盤の高齢者、年金者向けにタクシー券を、労働者と小規模経営者向けにレストラン券を思いついたのだ。市長だって再選しない限り、翌日は我々と同様、タダの人になるのが怖く、ウィーン市の予算を削ってでも、新型コロナ救済という名目で選挙運動をしているだけだ」という声が出てくるのを恐れたからだ。
多分、その受け取り方は「新型コロナ前」だったら間違いはない、と当方も考える。しかし、新型コロナに襲撃された欧州で多くの人々が亡くなっている。当然と思って享受してきた自由が突然、制限され、買物や散歩すらままならない現実に直面してきた。労働者、政治家、生活困窮者、豊かな人、若い人、高齢者それらの社会階層の区別はなく、新型コロナは公平にその牙を剥いている。「第2次世界大戦後、最大の人類への挑戦」といわれる新型コロナ感染に対峙している時、選挙対策、党利優先政策など余りにもみみっちい。ルドヴィク市長がそのように考えても不思議ではないはずだ。
市長は法的に許された権限範囲で新型コロナで苦しむ市民を少しでも喜ばせる贈物を送りたいと考えたのではないか。欧州では新型コロナ「前」と「後」では人の考え方、生き方は確実に変わってきているからだ。それは政治家にも当てはまるはずだ。
クルツ首相はそれを「新しい正常化」と呼んでいた。「新しい正常化」とは、生きていることに無条件に感謝し、自分を大切するように、他者を大切にし、社会の連帯と結束を大切する生き方だ。
来年4月に60歳の還暦を迎えるルドヴィク市長は「新しい生き方」を模索しているはずだ。誤解されやすい贈物だが、高齢者向けタクシー券と全住民向け飲食券というユニークで、粋な新型コロナ救済案はその結果ではないだろうか。そうあってほしい。
編集部より:この記事は長谷川良氏のブログ「ウィーン発『コンフィデンシャル』」2020年5月16日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿を読みたい方はウィーン発『コンフィデンシャル』をご覧ください。