西村大臣の「気が緩んでいる」発言への違和感、不快感

数ヶ月前から狙っていたGUCCIのカードケースを、ついカーっとなって買った。後悔はしていない。フォーマルな格好で出かけることがなくなったので、よりカジュアルで、ポップなものを使おう、と。サイケで攻めているデザインだが、今の私に合っている。これ1つで現金、カード、名刺がすべて入るスグレモノ。カバンの中もよりスッキリした。スマートフォンとこれさえあれば、外出可能である。

こんな時期にブランド物の買い物かよと言われそうだが、今の自分にとって必要だと判断し。実際、モノが届いて気持ちも上がった。機能性も高く、生活が快適になった。なお、デパートも路面店も休業中なので、公式オンライン通販で購入した。この通販、なかなかナイスで、ギフトラッピングされていたし、店頭同様、持ち帰り袋も同梱。さらに、すぐに返品できるように着払いの伝票までついていた。ナイスだ。消費は社会に貢献している。

西村氏(官邸サイト)

西村大臣、39県解除で「あちこちで気の緩み」 人出の増加に警戒感(AbemaTIMES)

ところで、多くの県で緊急事態宣言が解除されているし、新規の感染者数も報道されている限りでは減少傾向なのは明らかであるが、これにより外出者も増えていると指摘されている。これに対して、西村経済再生担当大臣が「あちこちで気の緩みがみられると大変心配している」とコメントした。

たしかに、第2波の到来は各国でも起こっていることであり、懸念するべきことである。しかし、これを「気の緩み」と表現するのはいかがなものか。注意するべきは、「感染につながるような行動」であり、関連する指標で論じるべきだ。もちろん、会見では外出者数などについて触れているのだが。問いただしたいのは「気の緩みがみられる」と言ったが、西村大臣はこれをどのように測定したのか?

そもそも「気が緩む」という行為は批判されるべきなのか。我々は、緊急事態宣言下で生きている。アベノマクスに失望し、お魚券、お肉券、GO TO TRAVELなどの謎の案にうんざりする一方で、慣れない在宅勤務、学校の休校、さらには「自粛ポリス」の跋扈により、緊張感が伴う状態で生きている。リラックスしなくては、心身ともに疲れ果ててしまう。

もちろん、発言の意図は、外出、さらには感染につながるような人との接触(そう、外出と、人との接触はまた違う指標だ)を避けてほしいということだろう。だったら、「感染拡大につながるような行動は控えてほしい」とストレートにお願いするべきだろう。それを「気の緩み」と表現するのは、どこまでも精神論に走るこの国の政治家らしいというべきか。そして、この「気の緩み」なる言葉も「自粛要請」と同様の謎の日本語である。

政権への怒りは燎原の火のように燃え広がっている。西村大臣の言動、行った打ち手に対しても賛否の声が湧き上がっている。西村おろし、西村弾劾の怒りの火が吹き上がる前に、この「気の緩み」発言について謝罪するとともに、ロードマップとゴールを示してほしい。

「気の緩み」なる言葉を政治家は安易に使うな。

ぜ っ た い に だ。


編集部より:この記事は千葉商科大学准教授、常見陽平氏のブログ「陽平ドットコム~試みの水平線~」2020年5月17日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿をお読みになりたい方は、こちらをご覧ください。