歴史が教えてくれる、相次ぐ不祥事の共通点
1月20日に召集開会された第201回国会(通常国会)も来月6月17日までとなります。
政官をめぐる不祥事では直近の黒川検事長をめぐる賭け麻雀問題が最も熱く、また河井克行・前法相の選挙違反問題も会期終了に向けてどのような動きを見せるのか予断を許しません。
一連の不祥事に触れるたびに思うのは、1890年の帝国議会開設以来の醜聞の数々です。
現在ならば考えられないような「ありえへん」出来事も、130年の間には数多くありました。
そうした歴史を振り返ると、根底にあるものが実は同じであることに気づかされます。
今回紹介するのは、そうした負の教訓の数々です。
ありえへんその1。政府による選挙干渉
議会開設から間もない1892年(明治25年)の第2回衆議院議員総選挙は、松方正義内閣の下、内務大臣・品川弥二郎による選挙大干渉が行われました。
その程度は極めて前近代的なもので、政府寄りの「着実派」と政府に批判的な「過激派」に峻別。尾崎行雄も過激派に分類されていました。国会図書館のライブラリにも、当時の「過激派」というレッテルの証が残されています。
こうした分類だけでもすごいですが、過激派候補であれば警察を使って演説会を妨害し中止を命じたりする。県令(現在の都道府県知事)や地方官に便宜を図り、着実派の候補を厚遇させるなど生々しいものでした。
選挙を巡っては数多くの死傷者を出しており、全国で25名の死者が出たという記録が残されているほどです。
ありえへんその2。「二当一落」は当たり前、中には「五当四落」も
これは現在の衆議院が小選挙区・比例代表連立制に移行する端緒にもなりましたが、とかく選挙は物入りと言われます。
参議院議長を経験された江田五月・元参議院議員の著書『国会議員― わかる政治への提言』によると、選挙にかけた費用の額が当落を左右することのたとえとして引用されています。
河井夫妻の一件などは、金額を見るとまさに「二当一落」を地で行くが如き金額なのに驚きます。
「さすがに五当四落は、やりすぎだろう。二当一落あたりにしておくか」。現在に似つかわしくない物量戦の背景には、そうしたやりとりでもあったのではと疑いたくなります。
ありえへんその3。公権力や金権だけでない、失言・放言もひどかった
国会のみならず、あらゆる議場に立つ方々の品格が問われるものの代表に発言や立ち振る舞いがありますが、130年の憲政史を紐解くと、破壊力の高い失言や放言の数々に圧倒されます。
その中でも私が思うに最たるものは、1953年(昭和28年)8月1日の第16回国会(特別会)で社会党・堤ツルヨ代議士と自由党・有田二郎代議士の間でのやり取りです。
「断末魔の自由党!」と罵声を浴びせる堤に対し、有田は「パン助、黙れ!」と応酬。
どちらも品性を欠くことは言うまでもありませんが、売り言葉に買い言葉とはいえ有田の放言は男尊女卑の極みと呼んで差し支えないでしょう。
一連の顛末は、不規則発言として議事録からは削除されています。興味のある方は元参議院議員・木下厚さんの大著『政治家失言・放言大全』をお求めください。総ページ数782にもおよぶボリュームは圧巻で、すべての政治家必携といえる超大作です。2014年の作ですが、6年を経た現在、増訂改版の暁には1,000ページをゆうに超えるかも知れません。
不祥事と負の教訓、双方から見えてくる示唆
本稿で取り上げた憲政史における「負の歴史」はごく一部に過ぎませんが、これらに共通するのは「それまでは罷り通っていたかも知れないが、もはや許されるものはない」という点です。
新聞記者や役人がタバコをくゆらせながら雀卓を囲むのも、かつては「よくあった風景」かもしれない。
もしかしたら、歴代の検事長やしかるべき立場の方々もそうだったのではないか、大手メディアにしても、特ダネを獲るための常とう手段だったのでは。そう疑問に思えてなりません。もっとも賭け麻雀に関しては、コロナ禍で全国民が自粛を強いられていた中での出来事なので、反省文を1枚ペラのリリースで出されても到底納得できるものではありません。
同席した産経と朝日の道義的な罪も免れません。とりわけ朝日新聞の「元」記者、その所属が経営企画室とも言われており、一般的な会社組織でいうならば社長の直轄でしょう。だからこそ、その過ちは一層批判されてしかるべきでしょうし、アゴラ・新田編集長による断罪にはまったくの同感です。
選挙資金や政治資金の件にしても、かつては札束が乱れ飛ぶ時代があったのかも知れない。
ウグイス嬢の報酬や地盤培養、あるいは物に形を変えたとしても、菅原一秀・元経産相の一件も本質的なところは一緒でありましょう。
国会論戦で空費されるのはさすがに勘弁いただきたいですが、「桜を見る会」も同様です。外側から見れば明らかに筋が悪い、それでも内側にいるとそれが分からない。
いずれも変わらなければならない「パラダイムシフトの節目」に気づくことの出来なかった点で共通の病理を感じます。
19世紀イギリスの社会学者、ハーバート・スペンサーは在野の研究者ながら哲学や社会学で、倫理学で数多くの著作を出し、自由民権運動の思想的な支柱として板垣退助らにも影響を及ぼしたと言われています。若き日の尾崎行雄も『権理提網』というスペンサー著作の翻訳を手がけるほどでした。
いわばわが国の憲政史の土台をつくった人物とも言えますが、その他にも「進化」や「適者生存」という概念を著作の数々で提唱し、「進化論」で有名なダーウィンにも少なからず影響を与えています。
環境の変化や時代の要請に適応することの出来ない者は、滅びゆくしかない。
政治や官僚の世界のみならず、私たちにも同じことが言えましょう。
それは130年前も現在も変わりありません。