ポストコロナ時代の「自由」の再発見

新型コロナウイルスの感染がピークアウトしたのを受け、欧州では段階的な規制緩和が進められてきた。欧州で最初の感染地となったイタリア北部ロンバルディアでもようやくロックダウン(都市封鎖)から規制緩和へとコマが進められてきた。コンテ首相はコロナ禍でダメージを受けた国民経済救済のために7項目計画を公表したばかりだ。

フランス7月革命をテーマとした絵画、ウジェーヌ・ドラクロワ作「民衆を導く自由の女神」(ウィキぺディアから)

ところで、規制緩和では外出自粛の緩和、シッピングモールの再開、学校の再開などが打ち出されてきたが、コンサート、劇場など芸術イベントの再開にはどの国も慎重な立場をキープしている。クラスター(集団感染)を恐れることもあるが、新型コロナ対策の主要な規律、ソーシャルコンタクトの自制、他者との距離(1mから2m)を取るといった措置が難しく、多くの人が限られた空間に集まり、濃縮接触も避けられない分野、という事情があるからだろう。

観光立国のオーストリアでは観光業が再開し、ホテル業界も再開にゴーサインが出たが、芸術家、音楽家、文化イベント開催者らは芸術分野への対応が遅れているとして政府に抗議し、デモも行ってきた。芸術の自由を重視すべきだ、というのが彼らの主張だ。

新型コロナの感染防止のためにロックダウンが実施され、外出もままならない時、国民の自由を蹂躙しているとの批判の声も一部聞かれた。興味深い点は、最大の感染国となったイタリアの国立統計研究所(ISTAT)が25日公表した調査結果だ。ロイター通信によると、国民の大半が新型コロナウイルス感染拡大防止に向けて政府が実施したロックダウン措置を支持している。調査は4月5~21日、同国での新型コロナ流行のピーク時に実施。ロックダウンが非常に有益、もしくはかなり有益だったとの回答は91%に達した。一方、あまり有益でない、全く有益でないとの回答は9%だった。

イタリアでは当時、政府のロックダウン措置に抗議する声はなかった。「自由」より国民の健康を守るため感染防止が明らかに優先されたからだ。国民に明確なコンセンサスがあった。それほど新型コロナの感染への恐怖は当時、全てのイタリア国民にとってリアルであり、他の選択肢は考えられなかったわけだ。

ここで「自由」について少し考えてみたい。自由を得るために人々は歴史を通じて命がけで戦ってきた。冷戦時代、ソ連・東欧共産政権から西側自由世界に逃げてきた数多くの人がいたことはまだ記憶に新しい。現在では、香港で多くの若者が自由のために戦っている。命を失うリスクを冒してまで自由を獲得するために戦ってきた数多くの人々が過去、そして現在もいる。

人は自由を求める存在だ。取り巻く環境、社会が自由を制限するならば、その障害を突破して自由を獲得しようと腐心する。中世時代からカトリック教会の伝統や慣習に縛られていたフランス国民が起こした革命はその代表的な例だ。神の支配から脱して、人間本来の自由の謳歌を求めたルネッサンス運動は当時のフランスに影響を与えていた啓蒙思想と結びついて1789年、フランス革命を引き起こした。

その一方、無制限の自由は考えられない。社会的存在としての人間にとって、自由には常に一定の「規制」が伴う。さもなければ、社会、国家の秩序が維持できなくなるからだ。すなわち、自由には無制限ではなく、一定のルールが必要なわけだ。

自由と「責任」は表裏一体だ。オーストリアのクルツ首相は規制緩和後、「国民は自由を得るが、それには責任が伴う。他者への感染を防止するためにマスクを着用するなどの遵守はその一つだ」と述べていた。責任のない自由はないわけだ。

同時に、自由を享受するためには、自由が維持されるだけの結果がなければ難しい。個人個人が好き勝手に自由を使えば混乱する。国にとってもよい結果(実績)が必要だ。規制緩和に乗り出した国は国民が規制を遵守し、感染者数が減少した結果のもとに、段階的に緩和を実施する。国民が規制ルールを守らず、感染者数が増加すれば、緩和は実施できない。

新型コロナ感染問題で現代人は、感染防止という国民全員の命を守る目的のために個々の自由、外出、経済活動、スポーツ、イベントなどを断念せざるを得ない状況下に置かれた。戦争体験の世代がほとんどいない21世紀の現代、多くの人々は当たり前に思ってきた“自由”が制限されるという初めての体験をした。自由に買い物をし、家族や友人と歓談し、スポーツやイベントを楽しむという普通の生活がどれだけ貴重なのか身をもって知ったわけだ。

また、感染リスクを冒しても社会の機能を維持するために働く人々や医療関係者への感謝の思いが強まった。自分が生きて行くうえで多くの人々が陰で支えていることも理屈ではなく、目撃し、体験できたからだ。

それではポスト・コロナでの「新しい生活」、「新しい生き方」とはいかなる内容だろうか。人は自由を求める一方、強い指導者のもとで自由の制限を喜んで甘受する場合もある。自主的に判断して選択しなければならない「自由」を持つのを恐れる人々がいる。ドイツの社会心理学者エーリッヒ・フロムはそれを「自由からの逃避」と名付けた。ポスト・コロナでの新しい生活は、「……からの自由」でも「自由からの逃避」でもない。自由を希求する自分と社会への感謝との共存を忘れない生き方ではないか。自由の再発見だ。


編集部より:この記事は長谷川良氏のブログ「ウィーン発『コンフィデンシャル』」2020年5月30日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿を読みたい方はウィーン発『コンフィデンシャル』をご覧ください。