コロナで10万円が支給される特別定額給付金を巡ってはオンラインで様々なトラブルが発生、更にオンラインとは名ばかりで各自治体が申請書をプリントアウトし、中身を確認するという作業を人海戦術で行っています。
かつて私の会社に面接に来た人に「エクセルを使えますか」と聞いたところ、「ハイ、できます!」と答えたので「ではこの表計算をちょっと作ってみてください」と試験したところ、表の中が全部生データだったというオチがありました。この特別給付金オンラインのシステムはエクセルを生データで打ち込むのと同じでオンラインとしての性能と機能と能力をほとんど使っていないと言い切ってよいと思います。
逆に言えば立案者は初めから各自治体が人海戦術でやることを見越していたようなものでなぜこんな程度の仕事しかできないのかプロから見れば疑問符だらけのレベルだったのではないでしょうか?あるITの専門家がそもそもの(プログラムの)設計が間違っていて素人臭い作りという意見もありました。受注した大手企業はそのまま指示も方針もなく下請けに流し、その流した後の検証もせず、バグがあれば下請けに「徹夜してでも直せ」と上から目線の怒号だったのでしょう。では元請は何をしたのかといえばナッシングなのでしょう。
同様に中小企業に最大200万円支給する「持続化給付金」の実務作業では衆議院経済産業委員会がC評価をつけた一般社団法人「サービスデザイン推進協議会」に769億円で発注。その後、電通に749億円で丸投げ。電通はパソナ、トランス コスモス、大日本印刷などに再発注しています。この一般社団法人は経産省のテコ入れがあるとされます。電通、パソナ、トランス コスモスで設立したこの団体への発注はお手盛りなのでしょう。というより危険なのは経産省が好き勝手に政権をいじっている印象が強く、今回は中小企業庁トップの前田泰宏長官の関与が取りざたされています。今井首相補佐官と言い、どうなっているのかと野党は吠えるでしょう。
私はしばしば日本の将来について憂慮していることをこのブログで書き綴ってきました。その中で日本の大企業、老舗企業は生き残れるのかということも何度か記させてもらいました。日本の大企業の多くの社員は大卒後、総合職ないし将来の幹部候補として採用されるわけですが、専門性よりバランス、サラリーマンとしての要領の良さ、マイナス点にならない仕事ぶり、社内営業に長けているといった資質を大いに育んできたと思います。
社会人中堅になっても会社の全体像をよく知らない、仕事とは受注したものを下請けにばら撒き、下請けを鵜飼いのごとくコントロールするのが業務だと思っている幹部社員もいるでしょう。同じことは行政サイドにもいえることで「〇〇円でこの業務を発注」することが仕事となり、発注後は思い通りの成果品が勝手に出来ると思いこみ、ほったらかしになるのです。仕事はそうではなく、発注元が一番関与し、どうしたいのか、明白な指示を出さねばならないのです。
私はゼネコンに20年いたのですが、新入社員の頃から「一括下請負発注の禁止」のルールを叩き込まれました。一括発注とはゼネコンが施主から受注後、それを別の小さな業者に丸投げすることを言います。なぜ丸投げするかといえば現場監督する社員がいない、社格に合わない小さな現場、儲からない…といった理由でした。2社以上に発注すればゼネコンとして作業のすり合わせが生じるので誰かをその現場の担当にしなくてはいけません。ですが、概ね現場所長クラスはでかい仕事がしたいわけでそんな現場には見向きもせず、工務担当は人のやりくりができないという問題を抱えるのです。
ならば発注者はなぜゼネコンに発注するのかといえば安心感と何かあった時に「ケツを割らない」からです。一種の保険です。ということは多くの官庁から発注される業務は入札資格審査という「保険審査」を経て何かあったら責任を全部押し付けられる業者に仕事を流すということになります。
ではあのアベノマスクはどうだったのでしょうか?興和、伊藤忠、マツオカ、ユースビオの4社でしたがなんでこう一貫性がない発注をしたのかさっぱりわからないのです。まず、マスクごときに伊藤忠が出てくること自体おかしいのです。どうせ海外に発注するのは目に見えていたのですから無理にでもユニクロとかアイリスオーヤマにでも頼んだ方がまだ世間体はよかったのです。(あの時は柳井さんはマスクはやらないといっていましたが今は変わっています。)つまり、発注側にプランがなく、ほとんど政治だけで物事が決まっているのです。この発想では日本の将来は真っ暗闇です。官-民が持ちつ持たれつの関係をバランスよくとり続けているだけでは何ら進歩がないのです。
大手企業は官庁を含む優良顧客の顔色だけを見、下請けには無理難題を押し付けるという発注体系は前世紀の遺物ではないでしょうか?
最近、株式市場では新興市場の会社が元気です。なぜだろうと考えていて、ふと思ったのは多くの会社は社員数も少ないため、専門意識が強く、若手から幹部まで仕事に精通しており、プロフェッショナルな仕事ができるのではないかと思うようになりました。日本的発想からすれば新興企業でこそ、日本の職人文化や活気、熱意が継承されるのではないかと感じるようになっています。
日本の構造的問題はこんなところにもあったということです。
では今日はこのぐらいで。
編集部より:この記事は岡本裕明氏のブログ「外から見る日本、見られる日本人」2020年6月5日の記事より転載させていただきました。