「わかっちゃいるけど変えられない」スーダラ節から見るAfterコロナ

日本の高度経済成長期、「ハナ肇とクレジーキャッツ」というグループが、日本の世相を歌い、そして演じていました。その中に無責任シリーズ、日本一シリーズ、クレージー作戦シリーズ等の映画があったのです。

植木等(往年のキングレコード広告より)

「ニッポン無責任時代」、「ニッポン無責任野郎」、「日本一のほら吹き男」、「日本一のゴマすり男」、「クレージー作戦先手必勝」、「クレージー作戦くたばれ無責任」、僕は日本経済がエンドレスで成長するという神話をこの映画を通じて理解しました。1960年代、正しく僕が生まれたのは1964年、この時代の空気、思いは子供なのでリアルでは理解出来ていませんでしたが、大人になりこれらの映画を見て、父がサラリーマンとして働いた時代を想像したのです。

メンバーの植木等が歌う「スーダラ節」は、当時大ヒットし、正に日本人の心そのものを表していたようです。そして映画「スーダラ節わかっちゃいるけどやめられない」が製作されたそうです。

その歌詞の一説に「わかっちゃいるけどやめられない」というフレーズがあります。調べたところによると浄土真宗の僧侶であった植木等の父が「『わかっちゃいるけどやめられない』は人間の矛盾を突いた心理で親鸞の教えに通じる」と言ったそうです。

「わかっちゃいるけどやめられない」これは、個人の行動に対する矛盾と理解しています。社会全体を表す同様のフレーズは何かと考えてみたら「わかっちゃいるけど変えられない」ということになるのではないでしょうか。Withコロナで語られていることは、Beforeコロナで変えられなかったことが多いのです。

「こうすれば良い…」、「こうするよう提案した…」というアイデア出しや、制度設計・企画は既に終わっています。理屈をつけて、既存ルールを守りたいがため「あえてやらなかった、出来なかった」のです。

もう「わかっちゃいるけど変えられない」は止めにしませんか?「わかっちゃいるから変えられる」、「わかっちゃいるからやり遂げる」出来なければAfterコロナの時代に世界で埋没する国になってしまいます。

僕が生まれた時代、人口が増えると共に経済が栄え、誰もが夢を見て、努力が報われ、まじめに働けば給料が上がり、個人も日本も豊かになった時代。当時と同じ時代になれないことはわかっています。異なる形で、異なるやり方で、誰もが夢を見れて、努力が報われる社会をつくりたい。だから、得意でないカラオケの18番は「スーダラ節」です。

「わかっちゃいるけど変えられない」。今、変革を求められている時代、植木等が聞いたらが嘆くに違いない。僕は、議論が終っているのに出来なかった施策について、「#わかっちゃいるけど変えられない」と記していきたいと思います。


編集部より:この記事は多摩大学ルール形成戦略研究所客員教授、福田峰之氏(元内閣府副大臣、前衆議院議員)のブログ 2020年6月5日の記事を転載しました。オリジナル記事をお読みになりたい方は、福田峰之オフィシャルブログ「政治の時間」をご覧ください。