6月11日の大阪府の専門家会議に招かれたオブザーバーたちの発言が話題を呼んでいる。「コロナ収束に自粛は関係なかった」といった見出しで取り上げられているからだ。
私はこれまで吉村府知事の「大阪モデル」の方向性を絶賛し続けてきている。そのため「自粛が必要だったか否か」を検討しているかのように扱って様子を矮小化する無責任で悪意あるマスコミによって、吉村府知事の行動の意味が誤解されてしまうことを懸念する。そのことについて少し書いてみたい。
自粛の意味は、政策論で判断すべきであり、その効果の度合いだけで評価するものではない。緊急事態宣言は、「医療崩壊を防ぐ」ために実施された。マスコミが真面目に報道していないだけで、4月7日宣言発出記者会見の冒頭から安倍首相もそのことを明言していた。したがって緊急事態宣言の意味は、4月上旬時点における「医療崩壊を防ぐ」目的設定の妥当性と、その目的のためにとられた手段との相関関係において評価されなければならない。
4月10日に国際政治学者の私が「増加率の鈍化が見られる」と書いていたのに、4月15日に「42万人死ぬ!」を三大主要紙を通じて広報するといった「西浦モデル」は、明らかに過剰であったが、目的の切迫性を鑑みて、我が身を捨てて運動家として行動した、という意図があったということなのだろう。
6月11日の大阪府専門家会議における発言が大きく取り上げられた大阪大学核物理研究センター長の中野貴志教授が唱える「K値」の考え方の基本は、7日移動平均でトレンドを見よう、ということだと思うが、それは私が緊急事態宣言中の「検証」シリーズでやっていたことだ。普通に数字を見ていた人は皆、4月上旬から私と同じように考えていた、ということである。
参照:アゴラの篠田記事一覧
大阪府は、医療施設における重篤患者の収容能力を高めて、「医療崩壊」点を上方移動させようとしている。正しい行動である。「医療崩壊を防ぐ」は政策論の話なので、医療能力の量的向上によって、決壊地点が変わるのである。 もちろん重篤患者の発生を抑制することも、「医療崩壊」を防ぐための大きな手立てである。しかし初期段階にとった緊急全面自粛措置を繰り返しとらなければならないとしたら、それはあまりにも芸がない。「医療崩壊を防ぐ」ために要領を踏まえた対策が講じられるべきだ。それが吉村大阪府知事がやろうとしていることだろう。
吉村府知事は、特に奇異なことをしようとしているわけではない。この「大阪モデル」路線は、むしろ2月からの「日本モデル」路線の基本に回帰する方向性である。
「西浦モデル」が「日本モデル」に対する「クーデター」だった。しかしそれは過去の事件である。私が以前に書いたように、5月になってからの「大阪モデル」の提唱が、「日本モデル」の崩壊を防いだのである。
なぜ「西浦モデル」は「クーデター」なのか?それは「感染者数をゼロにする」という達成不可能な目標のために、国民を脅かすだけ脅かし、自粛するだけ自粛させて、終わりなき自滅行動に駆り立てるものだからである。
それとは逆に、「日本モデル」の参謀役である押谷仁・東北大学教授は、厚労省がクラスター対策班を招集するよりも早い2月上旬の段階ですでに、「我々は現時点でこのウイルスを封じ込める手段を持っていないということが最大の問題である」と述べ、その理由も明快に論理的に説明していた。そして、「封じ込めが現実的な目的として考えられない以上、対策の目的はいかにして被害を抑えるかということにシフトさせざるを得ない」と洞察していた。
新型コロナウイルスに我々はどう対峙すべきなのか(押谷仁教授メッセージ)=東北大大学院医学研究科・医学部
このいわば「押谷モデル」の延長線上に、2月25日に発出された「新型コロナウイルス感染症対策本部」の最初の「新型コロナウイルス感染症対策の基本方針」において、次のような目的が設定されたのである(参照:官邸HP)。
- 感染拡大防止策で、まずは流行の早期終息を目指しつつ、患者の増加のスピードを可能な限り抑制し、流行の規模を抑える。
- 重症者の発生を最小限に食い止めるべく万全を尽くす。
- 社会・経済へのインパクトを最小限にとどめる。
「封じ込め」は不可能だが、「医療崩壊を防ぐ」措置をとりながらも、「社会・経済へのインパクトを最小限にとどめる」措置をとっていくのが、「日本モデル」の基本的流れだ。「三密の回避」などのクラスター発生予防のための行動変容呼びかけなどに大きな特徴を持つ「日本モデル」は、2月初旬からの「押谷モデル」の洞察に基盤を持っている。
「欧米が世界の中心であり、欧米を模倣しないのは、日本特殊論だ」といった根拠のない偏見に毒された人たちにとっては、「三密の回避」などは、中途半端で曖昧なユルユル政策のことでしかなく、日本人がダメであることの証左でしかなかった。 しかし「日本はすでに感染爆発を起こしている」といった主張を繰り返していた産婦人科医の渋谷健司氏のような人物が、その主張の根拠を示す義務から未だに逃げ続けているというのが、この3カ月で実際に起こった現実である。
6月11日の専門家会議で、宮沢孝幸・京都大学ウイルス・再生医科学研究所准教授は、「夜の町や飲み会、カラオケで騒ぐと唾液が飛んで感染するため、その行為をやめさせるのが一番有効」、「満員電車でも、1人ひとりが黙っていたり、マスクをしていればまったく問題ない。接触機会よりも感染機会を減らすべき」と述べた。これは新奇な発言というよりも、むしろ「常識」論であると言うべきだろう。われわれが「欧米を模倣しなければ日本特殊論だ」とか、「インペリアル・カレッジに行ったことがある者だけが世界の真理を知っている」といった恫喝に屈することなく、自分自身で普通に推論を働かせれば、わかることだ。
これからも「日本モデル」では、基本方針にしたがい、理性的な推論を働かせて、必要な政策をとっていくことが望ましい。万が一にも、怪しい肩書を振りかざす人物たちに惑わされてはいけない。
日本の幸運は、尾身茂・専門家会議副座長や、クラスター対策班の押谷教授ら、WHOやJICAでの公衆衛生の政策実施の実務経験を持つ人物が、政策決定の要所を固めていたことだった。そして吉村大阪府知事が5月になってから全国をけん引するリーダーシップを発揮したことだった。
この「日本モデル」=「大阪モデル」路線の重要性を、いい加減にマスコミの人たちにも気づいてもらいたい。
そして、無責任な発言に終始した人々に対しては、「俺は偉大な専門家だ、どんなに間違ったことを言っても許されるし、いつでも発言内容を変えても咎められない」といった居直りをさせず、厳しく自分自身を見つめ直すように、問い詰めてほしい。