短くなるのか、消費の移動距離

1970年代、それまでの消費の中心であった地元の駅近くの商店街から取って代わり、ターミナル駅にデパートや大店舗が続々と開店します。併せて中内功氏のダイエーの快進撃が目立ったのもこの頃でした。ゼネラルマーチャンダイズストア、いわゆるGMSと称されるビジネス形態がスタートしたのです。

(写真AC:編集部)

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人々はまるで磁石に吸い寄せられるように新型の大規模店舗に向かい、商店街は守勢となります。顧客層がだんだん高齢化し、店主と客が同じように年輪を重ねていった時代でした。商店街の没落についてはいまさら言うまでもなく、開かずのシャッター街となったわけですが、もう一つの背景は個人事業主は一階が店舗、二階が住居といった一体型の設計になっているところも多く、他人に店舗スペースを貸しにくいという問題あったことはあまり知られていないかもしれません。(店舗入り口が玄関だったのだから玄関を他人に貸すという発想がないのです。)

同じ頃、鈴木敏文氏が主導するセブンイレブンは小さな店舗を多数配置するという大規模店に真っ向から対立する手法で急速な成長を遂げました。商店街の中にも入り込んできたのですが、正直、商店街の中にあるコンビニは成功モデルではなかったように感じます。それより駐車場があり、何もないところにポツンとあるコンビニが長く生き残ったのはコンビニが他との競合を嫌ったともいえるビジネスモデルだったのかもしれません。

そんな消費動向はネット消費の時代の到来と共に少しずつ変化します。アマゾン、楽天だけではなく、ZOZOが衣料もネットで買うという新領域を生み出したのは時代の革命でした。併せてGMSのビジネスモデルは果てしなく崩壊し、デパートは凋落の一途を辿ったのです。

1970年代から50年間の消費を俯瞰するとその消費距離に一つの興味が湧いてきます。地元から繁華街にそしてネットで配送という流れは近⇒遠⇒近を明白に裏付けることができます。

ローソンが良品計画と提携したと報じられています。ローソンの中で無印の商品が溢れるようになるのは繁華街やショッピングモールに行かず、家のそばにあるローソンでも無印が買えるという近さをビジネスモデルに落とし込んだともいえます。これは時代の流れをうまく取り込んだと思います。

これは繁華街に珍しいものがあるかもしれないという足による情報網を張り巡らせず、スマホでチェックすれば全てが分かる時代となりわざわざ時間をかけ、人込みに揉まれてまで何かを見つけたいという気にさせなくなったともいえます。

もちろん、コロナはその背中を押しました。多忙になった日常生活もあるでしょう。高齢者の「おっくう」というのもあります。

私の日本の不動産事業の店舗スペースにときわ荘関連プロジェクトの「マンガステーション」が間もなく完成します。ときわ荘の漫画家たちの作品が読める公立の施設なのですが、これは外部から人を呼び込む効果も大いにありますが、地元の人が外に行かなくてもいつでも読めるという意味でユニークですが大いに期待できるビジネスモデルだと思うのです。

70年代、中古書店や貸本屋は嫌な臭いがして人々は新書を求めました。ところがブックオフは中古本の価値を一新しました。そして今、地元の図書館は開館を待つ人の列が出来ます。本は所有するものではなく、読み捨て的な発想だとすれば駅のそばの漫画喫茶に行かなくても読めるマンガステーションは非常に意味があるチャレンジだと思うのです。そして漫喫では不可能だったコミュニティを生み出すことすら可能になるのです。

かつてアメリカでは自分の生まれ育った州から出たことがないという人は案外多くいたものです。それは地元が心地よく、外に出る必然性がなかったからです。今、ネットでなんでも手に入る時代になり、外に出るのは何か特別な時だけ、という流れが出来つつあるならこれは時代の大変革ともいえるかもしれません。刺激より安泰、これがキーワードなのでしょうか?

では今日はこのぐらいで。


編集部より:この記事は岡本裕明氏のブログ「外から見る日本、見られる日本人」2020年6月19日の記事より転載させていただきました。