メディアも乱発する具体性を欠く議論
河井克行・前法相と妻の案里議員が公職選挙法違反容疑で逮捕されました。安倍首相は「法相に任命した者として責任を痛感している」と述べました。「責任を取る」といえば退陣を意味しますから、そうは言わない。「責任がある」「責任を痛感」というだけで何もしないつもりでしょう。
首相の7年に及ぶ長期政権下で、何人もの閣僚が辞任し、そのたびに「任命責任は私にある」と、繰り返してきました。メディアは首相のペースにはまってはいけません。メディアは「責任を問う」ことの意味を具体的に示して、主張すべきです。
朝日新聞の社説の見出しは「政権の責任は免れぬ」で、「首相が問われるべきは、任命責任だけではない。党本部からの1億5千万円もの政治資金が提供され、現金ばらまきの原資になった。首相と党執行部の政治責任は免れない」と、迫っています。「責任」とは何なのかを示していません。
読売新聞は「選挙資金の流れを解明せよ」の見出しで「疑惑を持たれた議員は国民に説明する責任を負う」「自民党が税金を原資とする政党交付金を受け取っている以上、党にも一定の説明責任が生じよう」と書きました。説明責任は取り上げたものの、他紙にある「任命責任」をどう考えているのか。「党内で順法精神を徹底させよ」の指摘は当然すぎて、主張にはなりません。
日経も意味不明のまま「責任」を乱発しています。見出しが「党の責任も問われる前法相夫妻の逮捕」で、文中では「首相の任命責任が問われる」「自民党の責任も重い」と指摘しています。二面の解説雑報記事では「安倍政権には有権者の疑念を払拭する説明責任がある」です。
毎日は「首相と党の責任重大だ」と。産経は「こんな人物に法相の重責を担わさた政府・与党の任命責任はどうなるのか」と。法相は建前は別として、閣僚の中では軽いポストで、実際は「重責」なんかは負っていない。産経のいう「任命責任」は何を指すのか分かりません。
首相や党執行部が「任命責任」「説明責任」を持ち出す時は、「何らの責任を取るつもりがない」の意味で、何度もこうした展開を見せつけられてきました。政治家はそういう便法を常習的に使う人たちです。それに対し、メディアが「責任」を持ち出す時は、具体的な意味を示すべきです。
「政治責任」は幅がありすぎて、どうにでも使えます。口にするだけで、するりと逃げられる。「説明責任」は本来、「国民が納得できるような説明をする」の意味です。実際には「疑惑の政治家が説明責任を果たしている」といえる記憶はありません。
「政治責任」の中でも「任命責任」は、定義がはっきりしない融通無碍の政治用語です。「任命責任」を感じて退陣するでもないし、口で「任命責任がある」と、唱えていればそれでかわせる。それがこれまでの日本政治です。立憲民主党の枝野代表の要求する「首相は退陣すべきだ」が「任命責任を果たす」ことなるのかどうか、メディアは明らかにしないまま、論陣を張ったつもりでいる。
責任には3種類あるという説があります。「務めをやり遂げる遂行責任」(resposibility) 、「相手を納得させる説明責任」(accountability )、「損害を賠償する賠償責任」(liability)とかのようです。政治責任とか任命責任は、どれにあてはまるのか分りません。
政治の信頼を傷つけた代償として、首相退陣、問題閣僚の解任、議員歳費のカットのどれを選ぶのか。コロナ危機に苦しむ国民感情に配慮して、国会議員の歳費を1年間、2割カットすることにしました。やりようはいろいろある。意味不明の空疎な責任論議から政治もメディアも卒業してほしい。
民間企業なら、社長が「経営責任」を問われれば、退任や役員報酬の返上というペナルティを自ら課すでしょう。関西電力の元会長、社長ら旧経営陣が金品受領事件の責任を追及され、関電そのものから19億円の損害賠償請求訴訟を起こされました。政界に比べれば、はるかに厳しい措置です。1億5千万円を河井陣営に破格の配分をした党執行部に賠償を請求するような措置です。
編集部より:このブログは「新聞記者OBが書くニュース物語 中村仁のブログ」2020年6月19日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿をお読みになりたい方は、中村氏のブログをご覧ください。