話題の候補者は、尾崎財団の修了生。それも成績優秀の
6月18日に告示された、東京都知事選挙。現職知事の小池百合子候補が話題の告発本をものともせずに圧倒的な現職優位のまま戦いを進めるか。それとも元熊本県副知事を務めた小野泰輔候補や弁護士の宇都宮健児候補、昨年の参議院選挙で最多の個人得票をあつめた山本太郎候補がどれだけ絡むか。さまざまな観点で悩みが尽きない選挙ですが、私にとっては後藤輝樹(ごとう・てるき)候補におのずと注目してしまいます。
本人もプロフィールでは公にしていないものの、彼は尾崎財団が主宰する政治塾・咢堂塾(がくどうじゅく)の修了生でもあります。咢堂とは「憲政の父」尾崎行雄の雅号ですが、彼は2年前の2018年に入塾、優秀な成績でプログラム課程を修了しました。
カイロ大学こそ卒業していませんが、私は彼が単なる色物候補ではない、政治の基礎をしっかりと学んだ人物であることをここに証明します。
きっかけは不世出のコラムニスト・勝谷誠彦さん
後藤輝樹さんと尾崎財団の縁は、かれこれ2年前にさかのぼります。
破天荒かつ博覧強記のコラムニストとして今もその死が惜しまれるコラムニスト・勝谷誠彦さんが生前最後の公式な講演会を行なった2018年4月21日。前年に財団が決定した「咢堂ブックオブザイヤー」の受賞記念講演の聴講に訪れたのがきっかけでした。
私自身もそれまでの後藤輝樹さんといえば、奇抜な全裸ポスターや軍服姿でキワモノ候補のイメージしか持っていませんでした。
その一方で、ツイッターなどの発信では核心を突いた「そもそもの、政治のあるべき形」が語られている。奇をてらう事なく、基礎から政治を学び直したら将来が楽しみかも知れない–−。
そう思い咢堂塾への参加を呼びかけ、20期生として彼は咢堂塾に参加。約10か月間、一度も欠席することなく通い続けました。
「頑な」だけど、好青年。それが同期間での評価
不偏不党の団体ということもあり、当財団の塾は修了したとしても選挙公認が貰えるわけではありません。特に推薦を出したり、選挙協力が得られるわけでもありません。はっきりいって、旨味はない。それでも毎年、老若男女や肩書を問わず、多くの方が全国から集まります。政党主催の政治塾と異なり、気持ちよくなることよりも苦痛を味わうことの方が多い。単なる「仲よしクラブ」で終わらないのが咢堂塾です。
尾崎の看板を背負っていることもありますが、尾崎行雄の生き方や信念を学ぶのみならず、軍事や国際問題、エネルギー政策や経済問題、地方自治のあり方やネットポリティクスなど、広範囲なテーマを集中して学びます。また会場が政治の中心地・永田町1丁目1番地、憲政記念館ということもあり「国会議員ですら、ろくに学んでいない」憲政史についても学びます。
彼が在籍していた時の講義では明治から大正、戦前戦後の昭和、そして平成とわが国の政治史を学びました。講義の中では田中正造や斎藤隆夫の演説なども輪読しましたが、後藤輝樹さんによる「反軍演説」は、他の誰よりも熱く、かつ真剣だったのを今でも覚えています。
真剣ゆえ、運営サイドと険悪になる場面も何度かありました。それを差し引いても「なんだ、意外としっかりしてるじゃん」というのが、関係者に共通する彼の印象でした。
それでも、頑固さは直らない。そこが一番の欠点
実際に対面した時の彼は、とても穏やかです。他人を威圧したり、見くだすことがない。むしろ、奇抜な選挙スタイルとのギャップに誰もが驚きます。選挙戦やPR戦略も正統派で臨んだら、もっと善戦健闘するのではないか。私のみならず、他のスタッフや同期の仲間も改宗を求める場面が幾度となくありました。よくも悪くも、頑固なのでしょう。
ジャズの演奏でもフリーやアドリブが聴かせるのは、奏者の基礎がしっかりしていればこそであって、フリーしか出来ないのは正道ではない、むしろ邪道だ。そういう厳しい意見も相次ぎました。
それでも彼は、決して自分を曲げることはなかった。興味深いのは、意固地になって拒むのではなく、周囲の意見にもしっかりと耳を傾けるのです。それも「聞いたふり」ではなく、しっかりと相手の眼を見つめ返す。それだけに「しょうがないなあ」と思いつつ、一方で今回の戦い方も、ある意味で彼らしいと思います。
最近ようやく目にするようになった選挙ポスターも、なんで「私に投票せよ」上から目線なんだよ。アホか。ちゃんと支持を求めろよ、有権者をナメてんのか。私ですら、そう思います。
それでも選挙戦の合間、時おり交わすメッセージでは、憲政記念館に通ったときのまま、相変わらず礼儀ただしい。しかも結びは決まって「愛してるぜ!」の決め台詞。
アホやなあ、馬鹿だなあ。そう思いつつも、私は彼を蔑むどころか、むしろ応援したい気持ちに駆られます。
それは、不器用なりにも彼が抱き続けている「怒りの原点」にあります。
ぜひ読んでいただきたい、彼の「善なる怒り」の原点
尾崎財団での学びを終えた直後に挑んだ、昨年の統一地方選挙のサイトがあります。
すべてをDIYでやろうとする性分ゆえか、洗練さはありません。それでも、ある一文が胸を突きます。
私が12歳の時、沖縄で同い年の女の子がアメリカ軍人に集団強姦される事件がありました。
しかし、そのアメリカ軍人を日本の法律で裁くことはできませんでした。それから20年以上経ち、この国は未だに変わっていません。
歴史を辿れば、我々日本人は、開国後に押し付けられた治外法権や不平等条約を、多くの犠牲を払いつつも、戦前、解消していきました。
しかし、敗戦後の日本は、たった1人の女の子も守れない、沖縄の海も救えない。
こんな日本で、生きている意味があるのか?私は、日本人として、そう思います。
今まで育ててくれた両親や日本社会、この国を命懸けで守ってくれた先輩方に対し、このまま死んでしまったら申し訳ない、この現状を打破するため、世のため人のため恩返しのため、捨て身で私は、選挙に立候補し続けています。
私が子どもの頃に感じた思いを、憤りを、未来の日本の子ども達には感じさせたくない。
日本人として誇らしく生きられる世の中にしたい。
そのために皆さんも協力してください。よろしくお願いします。
後藤輝樹
なんだ、しっかり頼みごとができるじゃないか。それがなんで「私に投票せよ」なんだよ、ばかやろう。
そう悪態をつきつつも、少なくとも国家観や政治のあるべき姿はしっかりと学んでいると思うのです。
彼の広報戦略や奇をてらった手法は、私自身も諸手をあげて賛同できるものではありません。それでも、少なくとも彼の主張や戦い方には、薄汚さやいやらしさ、胸やけがこみ上げるものは感じないのです。むしろ、時には清々しさすら覚えます。
今回の都知事選は私にとっても選択が難しいです。誰に投じるかというよりも、消去法で「誰には入れたくない」そのような選び方をするしかないかと溜め息をついています。
どうか後藤輝樹さんには、奇策だけに陥ることなく、正統派の主張もどんどん出していただきたい。
都政をどうしたいのか。有権者に何を訴えたいのか。そして何よりも「学んであなたは、何をするの。」改めてそう聞きたい。
私の1票は、今後の彼の戦い方を見定めたうえで、そして可能な限りすべての候補と比較したうえで、しっかりと行使しようと思います。