境田 正樹 弁護士、東京大学理事(病院担当)
前回の記事で、日本では、新型コロナウィルス(COVID-19)陽性者の必要十分なデータを収集することができず、また、民間や大学の知や技術を十分に生かすこともできず、さらに十分なエビデンスに基づく政策決定も行うことができなかった問題点をお伝えしました。このままでは、日本国内でCOVID-19重症化のメカニズムの解明やワクチン、治療薬の開発も難しくなります。
4. 今後の方策と課題
6月21日時点で、国内のPCR検査陽性者数は17,799人です。厚生労働大臣は、これからできる限り早急に、感染者法第15条第2項、第16条の3第2項に基づき、全陽性者の①~⑨の情報とそのために必要な生体試料を可能な限り遡って収集し、新たに「COVID-19データバンクセンター」(仮)を創設することが必要だと思います。ただ、ここで検討しなければいけない重要課題が、ELSI問題(倫理的・法的・社会的問題)です。
これまで、「COVID-19データバンクセンター」(仮)に類似した大規模ゲノム研究プロジェクトとしては、日本国内では、東北大学東北メディカル・メガバンク機構(ToMMo)の東北メディカル・メガバンク計画や、東京大学医科学研究所のバイオバンク・ジャパン(BBJ)などがあります。
これらToMMoやBBJの研究に関しては、一般的な医学研究と同様に「人を対象とする医学系研究に関する倫理指針」や「ヒトゲノム・遺伝子解析研究に関する倫理指針」が適用される研究に位置づけられるのに対し、今回の「COVID-19データバンクセンター」で行われる研究は、感染症法第15条2項による厚生労働大臣の命を受けて実施される調査ですので、上記倫理指針は適用されず、感染者の同意も不要とされます。
これは、感染症法が、厚生労働大臣の行う調査が、大規模ゲノムコホート研究として行われる事態を想定していない建付けになっているからです。
とはいえ、いつ第二波が来るか分からないという切迫した時間との闘いの中で、これから国会で感染症法の改正が行われるまで、何もしないという訳には行きません。私は、「COVID-19データバンクセンター」を創設するに際しては、上記の「人を対象とする医学系研究に関する倫理指針」、「ヒトゲノム・遺伝子解析研究に関する倫理指針」を参考に、感染症法の立法趣旨や大規模ゲノムコホートの特性を踏まえつつ、「COVID-19データバンクセンター」(仮)独自のデータガバナンス制度を構築することが必要であると考えます。
具体的には、
①データ提供者のプライバシーや個人情報を守るためのルール
②研究者がデータをセキュアに取扱うためのルール
③データの情報セキュリティを確保するためのルール
④データを第三者提供するに際し、第三者の研究内容や研究体制、セキュリティ体制を審査するためのルール
⑤研究成果を発表する際のルール
⑥上記①~⑤のルール通りに実際に行われているかどうかを監査するためのルール
などを明確に定めておくことが必須であると考えます。そして、このガバナンス制度を具体的に検討するにあたっては、個人情報保護法分野や生命倫理分野、情報セキュリティ分野等に精通した研究者の協力を得ることも必要です。
加えて、施設面でも、今後、研究を進めるに際しては、バイオバンク施設(生体試料保管庫)、MRI(核磁気共鳴画像法)、NMR(核磁気共鳴装置)、シークエンス解析設備、スーパーコンピュータ等の装置も必要となりますが、それら装置の安全性や機能性についても十分に担保しておくこと、そして専門家によりその客観的な評価を行っておくことも必要となります。
5. 診療情報のリアルタイム利活用
新型コロナウィルスに罹患した疑いのある患者は、数日内に急激に症状が悪化することがありますので、この疑いのある患者の初期診療を行う場合、医師にとっては、その患者の基礎疾患や過去の呼吸器疾患などの既往歴を速やかに把握することが極めて重要ですが、現時点では、他の病院での診療情報を速やかに把握する仕組みがありません。
また、政府及び自治体においても、第二波、第三波に備えるためには、新型コロナウィルス感染者の診療データをリアルタイムで収集・解析し、コロナ対策を立案するための仕組みが必要ですが、現時点では、このような仕組みは整備されていません。
この点、長崎県の「あじさいネット」や宮城県の「みやぎ医療情報ネットワーク協議会(MMWIN)」など、既に地域医療ネットワークが構築され、稼働している地域では、その仕組みを上手く利活用することで、上記課題の解決を図ることができますが、そのような地域医療ネットワーク存しないエリアでは、レセプトの有効活用がその解決策となると思います。
レセプトは、これまでほぼ「診療報酬請求明細書」の役割しか果たしてきませんでしたが、このレセプトの制度を少し改めれば、医療現場で患者の既往歴が速やかに把握することができるうえに、政府や自治体も、新型コロナウィルスの感染状況をほぼリアルタイムで把握することができ、迅速な対策を講じることができるようになります。この制度改革のためには、レセプト情報の登録を月に一度から日々登録に切り替えること、全保険者(企業健保、国保、協会けんぽなど)が、過去のレセプト情報を患者ごとに抽出・提供できるようなシステムに切り替えることなどが必要となりますが、政府内でそのような方針を定めれば、短期間で十分に実行可能な施策だと考えます。
6. 東京版CDC(疾病対策センター)は必要か
小池百合子東京都知事は、6月15日の記者会見で、米国疾病対策センター(CDC)の東京版創設を選挙公約として発表しました。私は、その構想の具体的な中身を承知していませんが、あくまでその前提で、以下、私見を述べたいと思います。
既述のとおり、私は、厚生労働大臣に感染者法第15条第2項、第16条の3第2項に基づく調査権があることを前提に、「COVID-19データバンクセンター」(仮)を創設すべきと述べてきましたが、実は、都道府県知事にも、感染者法第15条第1項、第16条の3第1項に基づく調査権があります。
もし、国の方では、「COVID-19データバンクセンター」(仮)のような構想の実現には時間がかかるというような場合には、都道府県知事がそれぞれ「都道府県版CDC」を創設し、それらが連携して、「都道府県連合COVID-19データバンクセンター」(仮)を創設することも一案かと思います。
役割分担という観点では、各都道府県CDCが、主体的にデータ収集と政策立案、県民や医療機関、保健所への情報提供という役割を担い、「都道府県連合COVID-19データバンクセンター」(仮)が、データの保管と解析、そしてその解析結果を各都道府県CDCに還元するという役割を担うというスキームです。
時間軸という観点では、①各都道府県は、「都道府県版CDC」のもとに、新型コロナウィルス陽性者のデータや生体試料等を収集し、「都道府県連合COVID-19データバンクセンター」(仮)に寄託する、②「都道府県連合COVID-19データバンクセンター」(仮)は速やかにデータの解析を行い、その結果を速やかに各都道府県CDCに還元する、③各都道府県CDCは、その還元された結果を速やかに県民に提供する、という流れです。
今回の新型コロナウィルスにおいて圧倒的に患者数が多いのが東京都です。東京都が「東京版CDC」を創設するのであれば、上記のような構想を共有して取り組んでいただくことが、全国民にとって、さらには東京都民にとっても有益な結果につながると考えます。
最後になりますが、言うまでもなく、新型コロナウィルス対策は、国と地方自治体が緊密に連携・協力をしてこそ最大の効果が出ることは明らかです。是非、国と各地方自治体が、いかなる制度設計が最善であるのか、十分な議論をして頂き、最善の策をできるだけ早期に実現して頂きたいと思います。
境田 正樹 弁護士、東京大学理事(病院担当)