医師と患者の心の乖離

中村 祐輔

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私の出身である大阪大学医学部のルーツを辿ると、江戸時代末期の適塾、そして、緒方洪庵に行きつく。江戸時代の言葉ではあるが、医療の本質をとらえた言葉を緒方洪庵は下記のように残している。コロナ感染症に対応した医師や看護師はまさにこの言葉を体現している。

・医の世に生活するは人の為のみ、おのれがためにあらずということを其業の本旨とす。安逸を思はず、名利を顧みず、唯おのれをすてて人を救はんことを希ふべし。人の生命を保全し、人の疾病を復治し、人の患苦を寛解するの外他事あるものにあらず。

・病者の費用少なからんことを思ふべし。命を与ふとも、其命を繋ぐの資を奪はば、亦何の益かあらん。

米国ではコロナ感染症から回復した患者さんに1億2千万円が請求されたと報道されていたが、日本の保険制度、補償制度は素晴らしいものだ。

その一方で、がん医療は行き過ぎた標準治療、マニュアル主義を振り返る時に来ている。保険で受けることができるがんの遺伝子パネル検査を受けて、分子標的治療薬が見つかっても、限られた製薬企業以外の薬は、自費で負担しなければならない。

毎月100万円もする薬代を払える人がどれだけいるというのか?それとも、がん保険推進策なのか?「命を与ふとも、其命を繋ぐの資を奪はば、亦何の益かあらん。」とあるが、治癒できるならともかく、延命の末に、残された家族に借金が残って苦しむことが医療と言えるのか?

がんという病気しか見ず、がん患者という人間を見ていないから、経済的な悪性を引き起こしても何も感じないのだろう。

お金しか頭にない(としか見えない)医師がテレビでコマーシャルをしてるのを見ると、「医の世に生活するは人の為のみ」ではなく「医の世に生活するは金の為のみ」と思えてくる。

そして、最も悲しいことは、心を忘れた医療だ。検査の数値とCT画像の一部だけにしか目を向けないために、長期間、腹水や脳転移などを見落とすケースが少なくない。体を診ることも触れることもないがんの専門医って何だろうと思う。

パソコンの画面を見つつ、余命を無機質に告げる。これならば人工知能が取って代わるのは簡単だ。機械が呟いているのだと思うと、患者さんや家族は絶望も怒りも感じないかもしれない。しかし、緒方洪庵は悲しむだろう。私も悲しくなるような事例が少なくない。

多くの医師の医療現場での姿勢を見ていると、人工知能ロボットで十分に補える。しかし、医療にとってもっとも大切な思いやりを忘れたままでいいのだろうか?人工知能には絶対に(100年後にはわからないが)カバーできないことが、人を思いやる気持ちなのだ。

標準化によって、ファーストフードのようにマニュアルに書かれた治療法を順番に提示していくことが絶対的に正しいと教育されている人が増えてきた。ファーストフードでは、数十の選択肢があるが、ほとんど選択肢のないのががんの標準療法だ。患者さんの多様性に応じた個別化医療が重要だという一方で、多様性をほとんど顧みないのが標準的治療法だ。副作用で苦しむだけで、何の効果がなくとも、次の標準療法を提供すれば責任を果たしたと言える時代になってきたのは悲しい。

心の通えるがん医療を自分で提供したい。そんな気持ちが強くなってきた。


編集部より:この記事は、医学者、中村祐輔氏のブログ「中村祐輔のこれでいいのか日本の医療」2020年6月27日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿をお読みになりたい方は、こちらをご覧ください