コロナ禍は単なる感染症ではない

以下は当方の勝手な「新型コロナ考」だ。論理と事実を重んじる読者にはついていけない部分があると思うが、どうか付き合ってほしい。多分、これまで聞いたこともない筋書きだから、忍耐をもって読んで頂きたい。

▲「COVID-19」の正体(世界保健機関(WHO)公式サイトから)

イスラエル人は約400年、エジプトのパロ(ファラオ=王)のもとで奴隷状態の生活をしていたが、神はモーセをイスラエル人のリーダーに選び、約60万人のイスラエル人を神の約束した地(乳と蜜が流れる場所)カナンに導いた。パロは当時、イスラエル人を解放することを拒否した。そこで神は「十の災い」を起こし、パロにイスラエル人を解放せざるを得なくした。神はヤコブの子孫がエジプト入りしてから400年後、イスラエル人をエジプトから解放した。旧約聖書「出エジプト記」の話だ。ところで、苦難の荒野路程の末、カナン入りしたイスラエル人は神の願いを実現できず、異教の神の影響を受け、イスラエルの神への信仰を失っていった。

イスラエル人がカナンに入ってから4000年後、神が約束したカナンは中東の一地域を意味せず、グロバリゼーションの結果、世界が地球村と呼ばれ出した。同時に、昔のイスラエル人と同じように、神への信仰を失っていった。そこで新しいカナンへ導くため神は古いカナンへの未練を断つために災いを起こした。それが2019年末から中国湖北省武漢で発生した新型コロナウイルスだ。世界196カ国、地域で12日現在、約1258万人が感染し、56万1551人の死者が出ている。

イスラエル人はエジプトの「十の災い」の結果、エジプトを脱出することができ、新しい地カナンに向かったが、4000年後の今日、人々は避難場所の“新しいカナン”を探すが、世界がカナンとなった今日、新たな逃げ場所はない。新型コロナウイルスが世界至る所で席巻しているからだ。すなわち、現代人は避難するのではなく、地球村と呼ばれる新しいカナンで試練に打ち勝たなければならないわけだ。

新型コロナウイルスに感染した現代人は隔離される。伝染病では検疫として一定の隔離期間が義務付けられているが、新型コロナの場合、感染の疑いがある人や数日前発行の健康証明書を有していない入国者の場合、隔離措置を受ける。その「隔離」「検疫」を意味する英語 quarantine はイタリアの「40」を意味するクアランタ(quaranta)をその語源としている。

読者の皆さんはこのコラム欄で「40」という数字が頻繁に出てくることに気が付かれたかもしれない。参考までに例を挙げる。40日間の「ノアの洪水」、モーセの2度にわたる「40日間の断食」、イスラエル人の400年間のエジプト奴隷時代、カナンの偵察期間40日間、イエスの40日間断食、復活後の40日間だ。そして4000年後の今日、地球村がカナンとなった現代、新型コロナの試練に直面し、“ポスト・コロナ”、“アフター・コロナ”で「新しい生き方」が突然、現代のキーワードに浮かび上がってきた(「『40』は神のラッキーナンバー?」2019年5月31日参考)。

ちなみに、上記の出来事で登場する「40」には共通点がある。人が古い世界から新しい世界に入る前に必要な数字として登場してくる点だ。古い皮を捨て、新しい皮を着るために人が払わなければならない期間として「40」数が出てくることが考えられる(「新型肺炎と『聖書の世界』を結ぶ数字」2020年4月9日参考)。

それでは、エジプトの「十の災い」の役割を担う新型コロナの「40」はいつ開始し、いつ終わるのだろうか。そのためには新型コロナがいつ発生したか、という問題を解かなければならない。中国共産党政権は事実を隠蔽してきたため不明な点はあるが、①昨年12月末、②中国が世界保健機関(WHO)に新型コロナ感染を通達した今年1月23日か、③WHOのテドロス事務局長が「パンデミック宣言」をした3月11日だろうか(「コロナ起源説の混乱は中国を利する」2020年5月8日参考)。新型コロナ感染が人類的課題とすれば、①も②も中国側の発表でその真偽は不明だから、現時点では③の日付けだけが明らかだ。③の日付から「40」数を計算するのが最も妥当かもしれない。

「40」数の場合、40日間、40週間、400日間、40カ月、40年の数字が考えられる。40日は既に過ぎたから、次は40週間だ。今冬ごろ迎える。400日間とすれば、来春頃だろう。ひょっとしたら、新型コロナの治療薬、ワクチンが出来る時期かもしれない。

4000年前のイスラエル人の立場にある現代人は「新しい出発」の「40」数字の責任を果たすならば、最短期間で新しい世界に入ることが出来るが、そうではない場合、延長せざるを得なくなるだろう。モーセがイスラエル人の不信ゆえに2度の「40日間断食」をしたようにだ。

明確な点は、グロバリゼーションで世界がカナンの地となった今日、人類は40数に該当する期間を成功裏に過ごさなければならない。繰り返すが、現代人には地球上、避難場所はもはやないのだ。富む者、貧しい者、賢い人、愚かな人の区別はなく、新型コロナに感染する危険があるからだ。その意味で「最後の40」数、少し黙示論的に表現すれば、「最後の審判」を迎えることになる。

「新しい出発」を意味する「40」数が今年秋から来年春頃に終わるかもしれないが、現代人が「40」に該当する期間を勝利できない場合も考えられる。規制緩和されたとして「夜の街」やパーティに繰り出す人々や責任を忘れて自由を要求する人を見ると、何となく心もとなくなるからだ。

規制、強制、隔離は誰にとっても快いものではないが、乗り越えていかなければならない。そのためには、地球村に住む現代人は結束し、治療薬、ワクチンを製造しなければならない。そしてそのプロセスで従来の生き方ではなく、神が約束した地球というカナンの地の住民として相応しい私たちになっていなければならないのではないか。

欧米の政治家は“ポスト・コロナ”、“アフター・コロナ”の課題として「新しい生き方」を国民に呼びかけている。誰がそうすべきだと言い出したというのではなく、新型コロナ後の生き方がこれまでの生き方とは違うことを直感するからだろう。世界は新型コロナ感染の「40」期間、世界の知恵をより集めて「新しい生き方」について議論すべきだろう。ハッキリとしている点は、新型コロナ前の生活に戻ることはできないということだ(「世界は“痛みのグローバル化”で結束を」2020年5月1日参考)。

日本の代表的SF作家、小松左京は「復活の日」という作品で「新型ウイルスが世界に流行したら」というテーマを描いている。現代の予言者といわれた小松は人類の危機に対して「総力戦」、「全力戦」という表現を好んで使った。地球の危機に直面した人類が生き延びていくためには民族、国家の壁を越え、総力戦で臨まなければ勝てないことを知っていたからだ(「『日本の予言者』小松左京の警鐘」2020年5月24日、「新型コロナは人間の『弱さ』を熟知」2020年4月7日参考)。

新型コロナ感染防止のためにマスクの着用が求められている。医療者用マスクではなく、通常のマスクではウイルスの侵入を防止できないが、自身の唾、咳の飛沫を防ぎ、他者を感染させないという効果はある。その意味でマスク着用は利他的な生き方のシンボルだ。

新型コロナウイルスが休戦宣言もしていないのに、欧米各地で6月に入り、規制緩和からマスク着用義務を解除し始めた。マスクを外す人々の姿を見ていると心配になってくる。マスク着用は「新し生き方」のヒントを現代人に与えていると感じるのだ(「欧州で見られる『マスクの名誉回復』」2020年6月10日参考)。


編集部より:この記事は長谷川良氏のブログ「ウィーン発『コンフィデンシャル』」2020年7月13日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿を読みたい方はウィーン発『コンフィデンシャル』をご覧ください。