文在寅政権が掘った「墓穴」朝鮮戦争捕虜の対北朝鮮 賠償判決

高橋 克己

その裁判といい、その判決といい、そしてその報道ぶりといい、いかにも文政権の韓国らしいと唸ってしまう出来事だ。何かといえば、朝鮮戦争で北の捕虜となって33ヵ月強制労働させられ、50年後に脱北した元韓国軍兵士2人が北朝鮮と金正恩を訴えた裁判で7日、原告が勝訴したのだ。

対北訴訟に勝訴し記者会見する元韓国軍兵士ら(KBSニュースより)

まずは報道ぶりから。ネットで日本語版が読める韓国5紙のうち、東亜日報と配信専門の聯合ニュースを除く朝鮮日報(7日と8日)と中央日報(7日と8日)とハンギョレ(8日)がこれを報じている。その5通の記事に共通して書かれている事態のあらましはこうだ。

ハン氏とノ氏の二人は、朝鮮戦争で北に捕虜として連行され、53年9月から56年6月まで、賃金もなしに炭鉱で強制労働させられた。二人は2000年以降にそれぞれ脱北し、16年10月、北朝鮮と金委員長に対し賃金と慰謝料など1人当たり2100万ウォンの損害賠償を請求し、勝訴した。

興味深いのは、各紙力点を置き方が異なるためか、書いてあることと書いていないことがあることだ。

まず北朝鮮に裁判をどう知らせたかだが、それは日本製鉄の在韓資産差押えで使われた公示送達。公示送達とは、訴訟事実を裁判所のホームページや掲示板などに知らせ、2カ月が過ぎれば書類が渡されたものとみなす制度(ハンギョレ)。朝鮮日報はこれに触れていないが、他の二紙にはこうある。

韓国に所在しない北朝鮮政府と金委員長に訴訟書類を送ることがカギだった(ハンギョレ)。北朝鮮側に訴状を伝達する方法がないため、訴訟は3年近く進めることができない状態だったが、裁判所が昨年5月に公示送達を命じて進展がみられ始めた(中央日報)。(これを日本製鉄に応用した訳か)

そしてハンギョレだけに記述がないのが「ワームビア訴訟」への言及。それには北朝鮮から賠償金をどのように取るか、その方法に関する記述が書いてある。すなわち、「ワームビア訴訟」で米国は「各国に隠されている北朝鮮の財産を差し押さえている」(中央日報)。

一方、朝鮮日報は、ワームビア氏の両親が「米国での裁判で勝ち取った5億ドルの賠償判決に基づき、米国内にある北朝鮮の資産に対する追跡を続け、現時点で2,379万ドルを回収したという」としているものの、そこには米国以外の国にある北朝鮮資産については触れていない。(どちらが事実?)

結局、賠償金は「著作権料」を差押えるという。メディアなどが使用した北朝鮮のテレビや写真などの著作権料を「南北経済協力財団」が徴収し、北に送金してきたが、08年の金剛山観光客狙撃事件でストップ、裁判所に預託されている20億ウォン差押えるという(朝鮮日報)。(北のプロパガンダに著作権料まで支払うとは驚いた)

文在寅大統領(韓国大統領府FBから:編集部)

次は8日の中央日報だけが触れている「日本強制動員賠償」判決との類似性。文政権は、いわゆる徴用工裁判の大法院判決で「司法府の判断には政府が介入できない」との立場なので、北に対する損害賠償責任を明示した今回の判決に「二重定規を突きつけるのは難しい」とする。(文はさぞかし困るだろう)

最後は7日の朝鮮日報だけが書いている北朝鮮の「法的性格」だ。「韓国は国内法上、北朝鮮を外国と認めていない」。このため弁護団は北朝鮮を「政府を僭称する不法団体」、すなわち「非法人社団」とみなし、代表者(金正恩)に不法行為責任を問うことができるとしたという。(主権免除の回避だな)

突っ込みどころが多いが、ここでは紙幅の関係で「北朝鮮の法的性格」に絞る。韓国憲法第3条には、「大韓民国の領土は韓半島と付属島嶼部とする」とある。これが、「韓国は国内法上、北朝鮮を外国と認めて」おらず、「政府を僭称する不法団体」と弁護団が主張する根拠の一つだろう。

拙稿「朝鮮半島分断小史①〜⑤」では、38度線が引かれた45年8月から米ソ外相のモスクワ会談のあった45年12月までしか触れていないので、3年後の48年8月の大韓民国と9月の北朝鮮民主主義人民共和国の設立までに何があったかをざっと述べたい。

強固な反共の李承晩は米国から帰国後、金九の押す臨時政府での南北統一に賛同しつつも、早いうちから北との短期間での統一は無理と見て、南単独の政権樹立を画策していた。米国内も、国務省と軍政庁のホッジ将軍は統一志向、マッカーサーや国務省の一部は南単独が先、と意見が分かれていた。

こうした中、南では穏健右派の金奎稙と穏健左派の呂運享を中心に、ホッジ主導で合作が模索されていた。が、実力者の極右李承晩と極左朴憲永はこれと一線を画した。また何より北では、金日成がソ連指導の下で着々と地歩を固めて46年8月には朝鮮労働党を結成、南の動きに全く同調しなかった。

米ソ共同委員会は46年5月に信託統治を巡り決裂していたが、同じころ中国でマーシャルが進めた国共合作をモデルに南で左右合作が動き出した。しかし47年7月に呂運享が暗殺され、11月には南朝鮮労働党を結成した極左がボイコット、米ソ共同委員会ともども南の左右合作も完全に頓挫した。

47年2月に、その後の対ソ封鎖策の基となる「トルーマン・ドクトリン」を宣言していた米国は、9月になるとソ連との協議を放棄し、朝鮮問題を国連に委ねてしまった。国連総会はソ連の反対を押し切って、国連監視下で総選挙を行い、その結果を基にした朝鮮の統一政府樹立を決議した。

大韓民国政府樹立国民祝賀式(1948年8月15日、Wikipedia)

総選挙は48年5月に北が参加しないまま南単独で行われた。この結果、国連は8月に大韓民国を設立させたが、翌9月に北は北朝鮮民主主義人民共和国を立てて朝鮮全土の管轄を宣言、これをソ連とその衛星国が承認した。だが、国連は12月、大韓民国を朝鮮唯一の合法政府として承認した。

南北分断について斯界には、「米国責任説」や「ソ連責任説」があって未決着だが、当然「朝鮮責任説」もあって然るべき、と筆者は思う。

さて、後に韓国と北朝鮮は国連加盟を認められた。が、それは何と91年9月でしかも同時加盟。そして日本は1965年の日韓基本条約に基づき、韓国政府を「朝鮮にある唯一の合法的な政府」と認める一方、今も北朝鮮を「韓国の管轄外にある朝鮮地域」として扱い、国家承認していない。

韓国と日本がこのように北朝鮮を国として扱ってないことの意味は決して小さくない。なぜなら、日韓請求権協定に基づく日本からの有償無償5億ドルの経済支援を、韓国朴正煕政権は国として受け取って、経済復興に使った後に国民への補償に使うとした(参照拙稿)。

日韓両国が北を国と認めていない以上、5億ドルには北の分も当然に含む。つまり、韓国は北の経済復興や住民のために5億ドルの応分を充てねばならなし、日本は北に対し南に預けてあるといえば良い。韓国が脱北兵士の賠償判決でだけ、北を国家と見做さないという理屈をこねることは許されない。

筆者はいわゆる徴用工判決に植民統治の慰謝料を持ち出したことを、韓国による深刻な世界史の蒸し返しと書いた。この朝鮮戦争捕虜判決でも、主権免除を避けるがために持ち出した理屈が墓穴となり、日韓請求権協定の5億ドルもろ共、韓国がそこに落ち込むことになるように思う。