最初に断っておきたいが、特定の本をバッシングするのがこの記事の目的ではない。しかしながら、筆者がこれまで日本のメディア報道の中で目にした「ある現象」を表している本だったので、一つの例として書いてみたい。
フェイスブックを眺めていたら、女性の友人がある本を紹介する記事について、コメントを出していた。
記事のタイトルは「アフターコロナ」はどうなる? 31人の論客が語った金言名句を一挙公開で、この「31人の論客」がすべて男性なのだという。
記事に飛んでみると、最初の2人の提言が紹介され、残りの29人の名前が掲載されていた。以下、記事からの引用である。
筆者は人名に何度か目を凝らしてみたが、「経験と知識に裏打ちされたキーパーソン」31人は全員男性のようだった(見落としていたら、ご指摘ください)。
全員が男性であることを知り、筆者は衝撃を受けた。
繰り返すが、「特定の本や記事の批判」が本稿の目的ではない。しかし、全員=男性と思ったとき、心臓がバクバクするように感じた。
氷山の一角
なぜこれほど衝撃を受けたかというと、「2020年なのに、まだこんなことが」と思ったからだ。
一体、何が問題なのか。
あえて言えば、「31人」に女性が1人も入らなかったこと自体が問題なのではない。この企画自体が日本を代表するもの、というわけではないのだし、編集部が独自の視点で選択した人々である。どのような基準でそうしたのかは筆者には分からないが、編集部には自由に人を選び、本を制作する権利がある。「この人の意見を掲載するべき」という基準で選んだ時に、「トップ31人」の枠に女性は入らなかったのかもしれない。女性に声をかけても、「参加したくない」といった人がいたのかもしれない。
筆者が問題視するのは、どのような基準であれ、編集部が「アフターコロナの社会への提言」という枠の中に31人を選んだ時に全員男性であり、そこで「あれ?女性は?」という疑問が出なかったようである点だ。
「提言」をする場に女性が入っていないことが問題視されない=このこと自体が、筆者は大きな問題だと思うのである(今思うと、「男性の」とつけたらよかったのかもしれない。例えば「経験と知識に裏打ちされた男性のキーパーソン」など?それはそれで次の疑問を生んでしまうかもしれないが)。
今後の社会を作っていくときに、「女性が普通にその場(提言の場)にいること」は非常に重要だと思う。
「たかが1冊の本なんだから」、「海外では女性がもっと進出しているだろうけど、ここは日本だし」などという意見が聞こえてきそうだが、日本だからこそ、今だからこそ、「女性が普通にその場(提言の場)にいること」が重要だ。
報道番組で、女性の比率50%を目標とした英BBC
英BBCは2017年から、報道番組の出演者の半分を女性にするプロジェクト(「50:50チャレンジ」)を続けている。番組「アウトソース」で司会者を務めるロス・アトキンス氏の発想で始まったプロジェクトで、ほかのニュース番組にも参加しないかと声をかけた。どれぐらいの比率を達成したのかを番組毎に競い合った。
これまでの達成度を調査した「インタリムレポート」によると、当初は女性が50%あるいはそれ以上であった番組は全体の34%だったが、今年3月時点では66%に到達した。
BBCのニュース番組を見ていると、司会者も含めて出演者(専門家、大学教授、NGOの代表など)のほとんどが女性である場合がしばしばあり、「ずいぶん女性が増えたなあ」と思っていたが、このような意識的な取り組みがあった。
ほかのテレビ局も同様の流れになっている。
メディア出演、政治界、経済界で女性が「普通にその場にいる」=「数に入っている」状態になると、子供にとっても大人にとってもそうした光景が常態となる。このため、例えば少女は「自分もメディア界に入る・政治参加する・企業の経営陣になる」ことを視野に入れるだろうし(逆に言えば、度外視しない)、少年はそんな少女が隣にいてもおかしくは思わない。少年少女の親もそんな進路選択を普通のこととして受け入れる。
「社会に向かって、広くxxを提言する人」を選ぶときに、「女性が(も)入る」がデフォルトになる。入っていないと、「あれ?」と思うようになる。
「2020年の現在、提言者の人選が一つのジェンダーのみで、これが特におかしいとは思われない」…という考えはすでに過去のものになった。
…と思っていたので、非常に筆者は驚いたのである。
(初出:ヤフー個人ニュースの筆者コラム、7月7日)
編集部より;この記事は、在英ジャーナリスト小林恭子氏のブログ「英国メディア・ウオッチ」2020年7月13日の記事を転載しました。オリジナル原稿をお読みになりたい方は、「英国メディア・ウオッチ」をご覧ください。