昭和はプライド、令和は自然体…時代の変化でプライドの価値は下がった

こんにちは!黒坂岳央(くろさかたけを)です。
※Twitterアカウントはこちら→@takeokurosaka

「男のプライドはないのか?」「いい大人なんだからプライドを持ちなさい!」

というアドバイスがある。オレも「男だろ?プライド持てよ」と何度も言われてきた。このアドバイスはもっともらしく聞こえるし、こうしたアドバイスを真に受けて、エベレスト山のごときプライドが高い人は、世の中に割といると思う。

そんな自分も昔は人並みにプライドを持っていた。

「男たるもの強い肉体を持っていないといけない」

「金欠でも、気前よくだれかれ構わずに奢る人こそがカッコいい」

「背伸びしてでも、高級スーツを着こなしなさい」

一時期、真に受けて頑張ってみたこともあった。けど、途中からこういうのは一切止めた。これを読んでいる人の中にも、バカみたくブチ上げたプライドの持ち主に対しては、「男らしくて尊敬します!マジリスペクトっス!」というより、「取り扱いが面倒くさい…」という印象を持っている人、いるんじゃないかな。

本当にプライドを持つことはいいことなのか?について論考してみたい。批判も来そうだけどとりあえず語ってみる。

  プライドが有効だった時代

昔はプライドを持つことが有効だった時代があったのだろう。その時代とは高度経済成長期だ。

当時は何もしなくても、日本全土がモリモリ成長していた。昨日より今日、今日より明日。黙っていても次々と人やビジネスは増えていき、ニョキニョキとスカイスクレイパーが東京のコンクリートジャングルから伸びてくる。そんな元気のいい時代は、人生成功のロールモデルがあり、今より仕事も労働集約的だった。労働集約的、というのは端的にいえば、「気合や根性でガムシャラに働けば、その分前に進める」というワークスタイルである。

苦しくても歯を食いしばり、辛くても涙を飲んで頑張ることで経済成長の波に乗って自分も上へ登っていく。こういう時代では、多少お金の羽振りがよくても、来年はもっと収入が増えている算段もあっただろう。…だって経済成長をしているのだから。

でも今は違う。人口は減少し、経済も成熟した。生き方のロールモデルもない、個の時代である。そうなるとやたらと高いプライドが、足かせになってきたのではないだろうかと思ってる。

 高いプライドは人生の難易度をブチ上げる

日本車に比べて、アメ車は高燃費(gas-guzzlerという)だ。プライドが高い人を見るたび、この人はgas-guzzlerだなと感じる。つまりは人生を生きる上での一挙手一投足全てにおいて、ひたすら高出力で結果的にコスパが悪いということだ。

そのことを示すために、筆者のエピソードを語りたい。筆者の元クラスメイトに、まさにこのgas-guzzlerを思わせる男性がいる。彼は成層圏に達するレベルにプライドが高い。

・分からないことを「知らない」といえない
・相手が年上でも上司でも、誰でもムリに奢ろうとする
・「オレはもっとすごい実績がある」と相手にすぐ競争心をむき出し
・相手の評価を年収と学歴で判断、マウントを取ろうとする

顔は割とイケメンなのに、彼女が出来てもプライドがジャマをしまう。彼は「こちらは男だから当然奢るよ」と気前よく彼女にごちそうをする。これだけを聞くといい男だと思えるかもしれない。だが、彼は初めてのデートこそは、きれいな夜景の見える高級レストランに行ったが、2回目からは彼女の誕生日でも大衆居酒屋がデフォになった。「今は自己投資で頑張っているから、金欠なんだ。すまん」といえば彼女も笑って応じてくれるだろう。しかし「このお店は実は高級レストランよりオススメ!」などと必死に取り繕いながら節約に努め、自身のプライドを守る姿は気の毒に感じてしまう。

彼は仕事の内容を聞かれても、勤務先名は頑として答えない。勤務先を答えるとググって大体の年収相場を想像されるのが嫌なのだろう(筆者はそんなことはしないけどw)。「超大手の人気IT企業。周囲は高学歴だらけで、女性社員は読モレベル」という言い方をするあたり、プライドの高さが見て取れる。彼のプライドを傷つけないように接することに疲れ、筆者はそっと離れることを決意してしまった。多分、もう会うこともないだろう。

一度、彼のようなプライドを持ってしまうと、このプライドを守るためにすべての言質に気を配ることになる。「この発言をすると、相手から下に見られないか?」ということに憂慮し、もしも筆者が彼の立場なら、人と会うのが億劫になってしまいそうだ。

この事例は極端かもしれないが、程度の差こそあれプライドを高く持つというのは、ムリして背伸びをするということに変わりはない。自ら人生の難易度を高くする気がするのだ。

 やっぱり自然体が最強

筆者はプライドを持つ代わりに、自然体でいることこそが最強だと思っている。

「自然体でいたら、自分なんて誰からも相手にされない」とプライドの高い人は思うかもしれない。しかし、逆に聞きたいのだが、カッコつけている時だけしか寄ってこない人と、人間関係を築く必要があるのだろうか?

今や、筆者はブログやYouTubeで野生児のようにイキった語りをしている。この文体に批判をする人がいる一方、ありがたいことにファンもついた。「ビジネス講演をするよ」といえば、毎回参加してくれる。自虐ネタも、バカにせずに一緒に笑ってくれる。ああ、もしかしたら、もっとカッコつけている方がもっと多くの人が寄ってくるのかもしれない。けど、演出した部分にしか惹かれない人とは、多分相性が良くないから付き合う必要はないだろう。

また、自然体はムリをしないから関係が長続きをする。そして自然体故に本音が言えるのだ。筆者は昔は、借りてきた猫のように大人しく、紳士のような振る舞いを感じる文体で記事を書き綴っていた。しかし、途中であることに気づいてタメ口にした。オブラートに包んだ言葉じゃ、人は振り向いてくれない。

特にネットは秒でくっつき、秒で離れる世界だ。滞在時間が数秒間の間に、訪問読者の心をぶん殴るような本音で語ることに決めた。…固いビジネス雑誌などの寄稿記事だけはタメ口を受け付けてもらえないので、丁寧語で書いているけど。

もちろん、人によって賛否両論だろう。さすがに初デートやプロポーズの時だけは、背伸びしてカッコつけてもいいと思う。けど、終始バカ高いプライドを持って、高出力で生きる人生は本当に幸せなのか?そう疑問を持ったので書いてみた。異論は任せる。

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ビジネスジャーナリスト
シカゴの大学へ留学し会計学を学ぶ。大学卒業後、ブルームバーグLP、セブン&アイ、コカ・コーラボトラーズジャパン勤務を経て独立。フルーツギフトのビジネスに乗り出し、「高級フルーツギフト水菓子 肥後庵」を運営。経営者や医師などエグゼクティブの顧客にも利用されている。本業の傍ら、ビジネスジャーナリストとしても情報発信中。