学校外も含んでいるのではないか
都議会でツーブロック禁止校則に関する教育長の下記の答弁が話題となっている。
「お尋ねの髪型につきましては、それを示している学校もございますけれども、きちんと類型を示しまして生徒に伝えているところです。その理由は、外見等が原因で事件や事故に遭うケースなどがあるため、生徒を守る趣旨から定めているものでございます」
出典:ハフポスト 7月16日
この答弁に対して質問者たる池上友一都議はSNSで「本当に驚愕の答弁。」とコメントし、これが拡散した。
世間ではこの答弁への批判が圧倒的である。しかし、もう少し冷静になってみても良いのではないか。
教育長が言う「事件や事故に遭うケース」には学校外のものも含んでいるのではないか。実際、児童、生徒が学校外で事件や事故に遭った場合、その児童らが在籍している学校の「指導」について責任が問われる風潮がある。特に保護者やマスコミは学校の責任を問う傾向が強い。
こうした社会の風潮を踏まえれば質問者たる池上友一都議もただ反発するのではなく事件や事故に遭うケースに学校外を含むのか確認し、学校外を含む場合、学校側がどこまで責任を自覚する必要があるのか議論すべきではなかったか。
「過大な負担」の結果としてツーブロック禁止校則
奇妙なルールを語るとどうしてもルールの制定者、ツーブロック禁止校則で言えば校長や教員の知性や感性を疑ってしまうものだが、彼(女)らの業務環境について触れることは無意味なことではないだろう。
筆者は職業柄(地方公務員)、現役の教員とお話をする機会があり、そこで教員の苦労を聞くことが少なからずあるのだが、教員を悩ませるのは問題行動を起こす児童、生徒への指導である。授業中に離席したり仲間と騒ぎ授業自体を妨害したり学校外で他校とトラブルを起こすような児童、生徒への指導が多大な負担であることは外野の人間でも理解できる。
一応、学校教育法第十一条には
校長及び教員は、教育上必要があると認めるときは、文部科学大臣の定めるところにより、児童、生徒及び学生に懲戒を加えることができる。ただし、体罰を加えることはできない。
という規定があり、
また、文科省は問題行動をとる児童、生徒について各教育委員会宛に「問題行動を起こす児童生徒に対する指導について」という通知も出している。
同通知によると、教員は問題行動を起こす児童、生徒に対して有形力を行使しても直ちに体罰と認定されるわけではなく、「状況に応じ一定の限度内で懲戒のための有形力の行使が許容される」との司法判断が出たケースがある(昭和60年2月22日浦和地裁判決)。
また、有形力の行使以外にも
「放課後等に教室に残留させる。」
「授業中、教室内に起立させる」
「学習課題や清掃活動を課す。」
「学校当番を多く割り当てる。」
「立ち歩きの多い児童生徒を叱って席につかせる。」
…の対応は懲戒として容認されている。
しかし、どうだろうか。「体罰に該当しない有形力の行使」は想像し難いし、教員が児童らに放課後に教室に残るよう指導しても、児童らがその指導を拒否し勝手に帰宅した場合どうするのか。児童らを叱りつけて席につかせようとしてもその児童らが暴れ着席を拒否した場合、どうするのか。より大きな声で叱りつければ、それ自体、保護者やマスコミから非難されるのではないか。
文科省の通知には「懲戒の履行」について具体的な規定ない。文科省は児童、生徒による懲戒への反抗を軽視している。
「懲戒の履行」は教員の指導に決定的な影響を与えると思われる。
「あの先生の注意は怖くない」とか「怒鳴られても強い態度に出れば大丈夫な先生だ」という風評が児童、生徒の間に広まれば、その教師の指導に従う児童、生徒は大幅に減るだろう。体格の良い中高生にそう認識されれば最悪、教員の身体・生命も危うくなる。
「懲戒の履行」が保証されないならば問題行動の発生自体を未然に防止する、すなわち「小火(ぼや)のうちに食い止める」の発想により校則で児童、生徒の禁止事項を増やし、それを徹底的に周知するほうが良いと学校、教員が考えても不思議ではない。
ここで筆者が言いたいことは学校が学校外の児童、生徒の問題行動に対しても過大な「責任」を問われたり「指導」の一言で現場の教員に過大な負担が強いられているのではないかということである。
だから猛批判されているツーブロック禁止の校則はあくまで学校、教員への過大な負担の結果であり、彼(女)らの防衛行動と考えるのは少し優しすぎる解釈だろうか。
建設的議論が求められる
今回の騒動では質問者たる池上友一都議にはどの政策分野にも増して「建設的議論」が求められる。というのも教育には政治的中立が求められており政治家の煽動で学校現場が振り回されることなどあってはならないからだ。
今後、池上都議がこの議論に安易に「学校=加害者、児童・生徒=被害者」もしくは「教育委員会・校長=加害者、教員・児童・生徒=被害者」の構図を持ち込まないか注視する必要がある。
筆者としては今回の騒動を機に児童、生徒の学校外の問題行動に対する学校の責任範囲の明確化と教員の児童、生徒への対応には「指導」と「懲戒」以外の言葉を設けるとともにこれらの法的基盤を強化すべきと考える。
本稿では文科省の通知を参照したが、これを知っているものはどれだけいるだろうか。ネット上に公開されているが保護者は知っているのだろうか。知っているのは「一部関係者」だけではないか。「一部関係者」だけが知るルールなど意味がない。
児童、生徒による問題行動が起きた後「学校の先生ってそんなことができたんですね。今、初めて知りました」と言われるだけである。
必要なのは文科省の通知ではなく教員の権限を詳細かつ明確に記した警察官職務執行法のような法律であり、教員が「懲戒の履行」を不安に思わず児童、生徒に対して堂々と対応できる法的根拠である。
これらの二つの改革が実施されれば奇妙な校則も自然となくなるのではないだろうか。どうだろうか。