コロナ時代、東京から始まるべき「新しい五輪」とは --- 白戸 太朗

オリンピック・パラリンピックは象徴であり、権力だった。五輪と言えば、スポーツ界はもちろん、経済界でも、教育や政治の世界までも皆が敬意を払い、皆が従った。五輪シンボルは絶大だった。少なくとも半年前までは…。

風向きが大きく変わり始めたのは、昨年のマラソン競技の開催地移転問題の頃。開催都市である東京都や、競技関係者が丁寧に重ねてきた準備を顧みず強引に変更させたことで、IOCに対する疑念が湧き始め、大会そのものの意義を問う意見が目に付くようになった。

そして今回の新型コロナウイルス感染症拡大により、史上初の1年延期。この経緯も突然で不評だったが、止まらない感染拡大の中でますます五輪の存在価値に疑問が沸き起こっている。

未知なる感染症と闘うストレスと恐怖が、そんな論調をさらに強くしていると思われるが、安全上の問題や、開催費用など経済的な視点が多いように見える。経済面については、沢山話したいこともあるのだが、今回はスペースの関係で別機会に譲ることとしよう。

そもそも五輪は、本来お金の為に開催する訳ではないはず。が、結果として金がかかるものになっており、その金をめぐって様々な人の思惑が絡んでしまっている。

では、五輪はなんのために開催するのか。

スポーツの力で世界とのつながりを示し、希望をもたらす力、人を結び付ける力を共有する機会ではなかったか。人間の限界まで戦うアスリートを応援し、喜怒哀楽を共有する。スポーツはいつも社会の連帯や感動を残してくれた。現在のような人がつながりにくく、希望を持ちにくい時だからこそ開催するべきではないのか。

こんな根本的な議論ではなく、社会も開催者も金の話だけが先行しているのが残念でならない。モノの値段は数字だけではなく、その価値に見合うかどうかだ。そんな内容の議論が盛り上がっていないところに現在の問題があるのではないか。

今回のコロナ禍で社会は大きく変化した。働き方、人のつながり、住居に求めるもの、そして生きていく価値にまで。すべてにおいて数十年分くらい加速度的に変化し、社会も、会社も、個人もそれに対応すべく変化を迫られている。

ならば五輪も変わるべき時ではないか?

過去のような華やかなスポーツイベントである必要はない。いや、社会はもうそれを求めていないとも思う。過去にとらわれないダイナミックな変化を自らしていかなければ、世界最大のスポーツイベントとて変化の時代に残っていけないのではないか。

国内においても、プロスポーツは様々な対応を取って開催を始めている。

Jリーグやプロ野球、大相撲などは、無観客から開始し、今では観客数を絞っての開催となっている。また選手への定期的なPCR検査を行い、陽性が出た場合は当該試合の延期やキャンセルなどを行っており、ここまでは大きなトラブルなく進んできている。

アメリカにおいてもMLBやNBAが、無観客と選手の定期検査と移動制限、シーズン中の隔離などの手段で開始されている。日米共に最初こそは違和感があったが、慣れてくるとそれほどでもなく、開催出来ていることの喜びを感じている。

このように他のスポーツが開催出来ているのに、五輪になると急にトーンダウンするのは、開催規模から来るものだろう。多くの選手、関係者、そして世界から大勢の観客がやって来る。

それならたとえば、無観客での開催はどうだろう。もちろん現場で盛り上がることが出来ないのは、観客にしても、アスリートにしても残念なことだ。

しかし、現在の状況で開催できる有力な案だと私は考える。大会にやって来る選手や関係者は約2万人。入国時に全員PCR検査は当然。その後も行動はすべて限定的に。せっかく日本に来てもらって申し訳ないが、個人的な観光などは遠慮してもらわざる得ないだろう。宿泊所と競技場だけに絞れば管理は不可能ではない。

そしてこれなら、会場周辺や駅や街中での観客誘導などがないし、都内交通はほぼ通常通りで問題ない。すると会場外での経費やボランティアもほとんど不要となる。まだ予想の域を出ないワクチンに関しても、完成しても、していなくとも、そして行き届かなくともこれなら可能となる。

現状、無観客に否定的とされるIOCも、巨額な放送権料を払う NBCが受け入れを表明すると軟化するだろう。NBCとしても、各プロスポーツが無観客でも少数観客でも成立することが分かってくると、態度は変わると思われるので、これから変化が出てくるはず。

当然、選手としても、開催されないより、無観客でも開催してくれることを期待している。メジャースポーツもアーティストのライブも、オンラインで配信される時代。中継技術とオンライン環境が整っている現在だから可能な事でもある。

新しい五輪とは何だろう。

これまではIOCの前に語られる事、議論することが許されない、もしくは言っても意味がないような雰囲気があった。しかし、もう開催自体が厳しい今となっては、過去にこだわっている場合ではない。

今回においては、試合の組み方や、競技内容などの見直しも検討していくべきではないか。過去の「完璧な五輪」を追うのではなく、どうしたら開催出来るのか。どんな五輪なら可能なのか。そんなことを、IOCや組織委員会はもちろん、東京都も考えるべきフェーズなのではないか。

Tokyo 2020サイトより

そんな新しい五輪を東京から発信できたなら、つまり新しい時代の始まりを東京からスタート出来るなら、開催の大いなる意義も見えてくる。

レースは苦しくなった時に逃げ出してはいけない。そんな時こそ闘志を燃やし、知恵を絞り奮い立たせて戦い続けなければならない。

そして僕たちは逃げる姿を子供たちに残すべきではない。最後まで走り続ける背中を次世代に見せることも大切だ。

そう、レースはまだ終わっていないのだ。

 


白戸 太朗(しらと たろう)
東京都議会議員(都民ファーストの会、江東区選出)トライアスロン元日本代表
1966年生まれ。中央大学卒業後、日体大大学院修了と同時にプロトライアスリートとして世界を舞台に活躍。1990年から8年連続世界選手権日本代表。2017年都議選で初当選。公式サイト