「ねんきんネット」の案内が来たので登録した。1か月少ししてようやく将来の年金予測額を見ることができるようになった。そろそろ引退も考えているので、どの程度の年金が支給されるのかを楽しみにして「かんたん試算」で覗いてみた。
結果は唖然・呆然・愕然だ。なんと月額138,702円だった。確かに、11年余りの米国滞在期間があるので少ないかもとは思っていたが、30年以上も日本で必死で働き続けていて、この金額はショックだった。固定資産税や光熱水費を払うと厳しいものがある。人並みの貯金はあるとはいえ、長生きはできないと思った。田舎で畑を耕しながら自給自足の生活がいいかもしれない。
と思いつつ、なんとなく、今日に至る自分の道筋を思い起こした。自分の人生を振り返って悔いややり残したことはないのかと訊かれると、当然ながら悔いややり残したことはある。しかしながら、臨床試験などは私の手を離れて結果を待つだけで、リキッドバイオプシーやネオアンチゲンも、次世代に託している。もし、今、スタートレックのように時計を戻して過去に戻ることができた場合、最大の分岐嶺になると思うのは、臨床を捨てて研究者になったことだ。
2年前に日本に戻ってから、多くの患者さんや家族にお会いしたが、心に寄り添う医療が失われつつあると実感している。私が外科医をしていたころ、がんの告知はしなかった。しかし、真実を語れずとも、患者さんと一緒にその方たちの人生を背負っていたように思う。
私は昭和生まれ、しかも、戦争の傷跡が残っていた時代に生まれた。私が体験した医療は、演歌の色が強く映し出されていた。情があり、悲哀や喜びを共有する時代だった。
その昭和が平成になった年にユタ大学から癌研究会研究所に戻り、東北大震災の翌年にシカゴに移り、平成が終わることが決まった年にシカゴから再びがん研究会に戻った。演歌の時代は終わり、字幕がなければ、何を言っているのか理解不能な音楽の時代になった。インフォームドコンセントなどなくとも、患者と医師が心でつながっていた時代が過去のものとなり、紙切れに署名をしていれば、説明責任を果たす時代になった。
がんの告知は当然のことのように行われているが、告知、特に患者さんの人生の残り時間を告知すると共に、患者さんに背を向ける医療になってしまったように思う。確かに、患者さんの一人一人の価値観は多様であり、人生の喜怒哀楽を共にするのはしんどいことだ。しかし、それでいいのか、日本の医療は?
話を戻すと、タイムマシンがあるならば、患者さんに寄り添うことのできる医師の道を歩むことを選択するかもしれない。いや、きっとそうするだろう。そして、今頃は、離島で働いているかもしれない。そうなれば、朝日新聞事件で心の底から笑うことのなくなった自分は存在せず、島民たちと一緒に思いっきり笑っている私がいるだろう。
年金の予想支給金額を見て、思わぬ方向に考えがワープしてしまった。胞子エネルギーがあれば……。(スタートレック・ディスカバリーを見ていない人には、わかりにくいだろうが?)
編集部より:この記事は、医学者、中村祐輔氏のブログ「中村祐輔のこれでいいのか日本の医療」2020年8月9日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿をお読みになりたい方は、こちらをご覧ください。