幻の「続編」?
3年前に児童文学者であり雑誌「世界」の初代編集長・吉野源三郎(1899~1981)が執筆した「君たちはどう生きるか?」の漫画版が出版され、200万部を超えるベストセラーになった。
漫画版とはいえ原著が1937年に出版された児童向けであることを考えれば、これは驚異的なことである。
まさに時代を超えた作品であり、吉野の児童文学者として知見が存分に発揮された結果と言えよう。
「君たちはどう生きるか?」の他にも吉野の児童文学者として知見を窺えるものがある。
彼は岩波書店発行、雑誌「教育」の1942年5月号に「子供ものの出版について」と題して次のように述べている。
「情報局の斡旋の下に文部省からも支援されて、児童文化の建設のために日本少国民文化協会のような綜合的な機関が設立さるる至つたという事実の中には、今後の児童文化の展開にとつてこの上もなく重要な意義が含まれていると思う。国家の総力をあげて大東亜戦争に従事している最中に政府がこれだけ積極的な態度に出たという理由の中には、確かに、わが国の児童文化の逞しい生長を約束する大きな可能性が潜んでいる」
1937年に児童に「どう生きるか」を説いた吉野だが5年あまりで「長いものに巻かれろ」という生き方を実践し、その中で児童文化の発展を夢想していた。
また、次のようなことも述べている。
「既にシンガポールの島に日章旗が飜り、あのブキテマの高地の戦闘がたけなわであつた。今後の大事業に備えて少国民を今日から鍛えあげておくことの必要は、もうその時は誰の眼にも明らかであつた」
他にも「少国民を待つているものは、壮大であるが至難な、至難であるが壮大な、世界史的な課題である。彼等がこの大きな課題を引受けるに足るだけ立派に成長してくれること」とか「英米資本主義からの東亜の解放」とか述べている。
どうやら「君たちはどう生きるか」には生々しい「続編」があったようだ。
それは日本の児童が「少国民」となり「今後の大事業」「世界史的な課題」すなわち大東亜共栄圏の建設に向けて教育された後、活躍する話である。時勢を考えれば吉野の少国民への期待には軍事訓練も含まれているはずである。
しかし、この次元ならば吉野が1945年の上半期に「本土決戦」をどう考えていたか気になるところである。記録はないようだが吉野が「本土決戦」について児童に対して「生き方」とは真逆のことを説いていたと推測することは決して侮辱にはあたるまい。
内調が暴露した進歩的知識人の変節
この吉野の言論は「進歩的文化人 学者先生戦前戦後言質集(全貌社1957年)」から引用した。
本書は、いわゆる「進歩的知識人」の戦前から戦後にかけての変節ぶり紹介したもので、元々は1954年に「学者先生戦前戦後言質集」として出版されたが1957年に上記の題名に改められた。
「戦前の言論」を暴露された進歩的知識人は吉野の他にも清水幾太郎(安保闘争の中心人物)鈴木安蔵(憲法学者、日本国憲法支持)蜷川虎蔵(戦後、革新系の京都府知事)など戦後日本の動向に大きな影響を与えた人物ばかりである。
1954年に出版した時の反響は大きく称賛と激励そして「悪意の批判」もあったようだ。しかし、事実は事実である。筆者がもつ1957年版では編者は「はしがき」で次のように述べている。
「悪意の批判者といえども、本書の内容がウソであるとか、デマであるとか、などとは誰一人として述べなかった。」
編集者と執筆者はまさに得意だったろう。実は本書の編集者と執筆者の正体は不明だった。しかし最近、これが明らかになった。昨年、出版された「内閣調査室秘録 戦後思想を動かした男」によると正体は内閣調査室(現・内閣情報調査室)の職員だったのである。(参照:内調OBが語る「戦後知識人工作」、衝撃の裏面史)
本書で打撃を受けるのは左派だけだから納得である。
もちろん合法とはいえ政府機関が特定の知識人の言論を収集し、打撃を与える目的でそれを公開することは好ましくない。しかし本書の出版で一般国民は不利益を被っていない。
進歩的知識人が憧憬した共産圏の破滅を知る現代の視点からみれば内閣調査室の暴露で国民は利益を得たといっても良いだろう。
忘却は、知恵である。
「戦前の言論」など本来ならば知識人同士で検証し総括すれば良いだけの話である。
しかし、それは困難だった。大東亜戦争を称賛・肯定した知識人が戦後、活動することは単純な話ではなかった。「戦前の言論」の検証は高確率で「断罪」を招き社会的立場を破壊させる。それは具体的には「失職」であり高度経済成長期に突入するまでは文字通り命に関わることだった。
また、特定個人を陥れるために「戦前の言論」を悪用する者もでてくるだろう。
確かに「学者先生戦前戦後言質集」で「戦前の言論」を暴露された進歩的知識人はかなり無節操だが彼(女)らは「断罪」に怯えていなかったか。
進歩的知識人という立ち位置は一種の逃避ではなかったか。東京裁判がなければ知識人は「進歩的」ではなく国際的リベラル、現実的リベラル、都会的保守、近代的保守となっていなかったか。
現代に住む我々に求められるのはこういう視点・思考だろう。歴史は「断罪」するものではなく「学ぶ」ものである。
しかし、残念ながら歴史の検証は単なる「断罪」で終わることが実に多い。日中・日韓関係も両国との歴史認識に朝日新聞を始めとする左派が「断罪」を持ち込み破壊された。
日本側が何を主張しても中韓両国は「断罪」を止めない。特に韓国は過激である。
左派は国内でも在日コリアンとの関係で「断罪」を持ち込み日本人との対立を煽る。
ある時代の歴史を検証すると「断罪」を招き外国と在日外国人との平和・友好関係が破壊されるならば、その時代の歴史は無理して検証しなく良い。そんな歴史の検証なんら意味がない。はっきり言って有害である。
実際、本稿で取り上げた吉野源三郎も「戦前の言論」が日本人からの「断罪」を避けられたから、もっと言えば忘れられていたから現代でもその著作が評価されたと言っても穿ち過ぎではあるまい。忘却は吉野に利益をもたらしたのである。
終戦から75年目の夏に検討すべきはこの「忘却の利益」である。
具体的には対外的には日中・日韓関係、対内的には在日コリアン、琉球王国時代からの沖縄在住者、子孫が江戸時代にアイヌと認識されていた者に関する課題ではこの「忘却の利益」を適用すべきである。
生産的・建設的議論が期待できない「歴史認識」例えば「日本軍は慰安婦をどう集めたか」とか「南京で日本軍は民間人を何人殺害したのか」といったものは忘れる(無視)べきである。
かつて「忘却」に対して「忘却は、罪である。」と主張した出版社がいたが、あえて挑発的な言い方をすれば今必要なのは「忘却は、知恵である。」