安倍総理の健康問題、夏休みなど

石破  茂 です。

安倍総理の健康問題が大きく取り沙汰された一週間でした。総理がこの国で一番といえるほどの激務をこなし、たとえようもない重圧感に耐えながら職務に邁進してこられたことに心から敬意を表しますし、一刻も早く全快されて万全の態勢で職務を遂行されることを心より祈念しております。

官邸サイトより

政治家の健康は、本人のみならず、国家国民や地域の命運にも多大の影響を与えます。あまり今まで気にしたことも無かった「休むのも仕事のうち」という言葉が妙に実感を伴って感じられます。

昭和55年(1980年)12月7日、鈴木善幸内閣の自治大臣であった父が東大病院で膵臓癌の手術を受ける前夜、私を呼び出して遺言を手渡したのち、一通の封書を別に渡して「これを明日の朝、田中(角栄元総理)の所へ持って行け」と命じました。「これは何ですか」と問う私に「大臣の辞表だ。手術中に死ぬかもしれない。その時、辞表が出ていなければ天皇陛下にご迷惑をおかけすることになる。辞表を出す、出さないも、その時期も、すべて田中に任せると伝えよ」と答えました。

翌朝、目白の田中元総理のお宅に伺い、そのように伝えたところ、元総理はしばらく絶句された後「立派だ…」と一言仰いました。父は手術後、数日で職を辞し、翌年73歳で没するのですが、当時23歳の銀行員であった私は、明治の人(亡父は明治41年生まれでした)の価値観や人生観、吏道の一端を垣間見た思いがしたことでした。

アメリカ大統領選挙の民主党候補にバイデン前副大統領が指名されました。11月3日の大統領選挙の結果を今から予断をもって語ることは出来ませんが、どちらが当選するにせよ、合衆国内の「対立と分断」の構図が少しでも解消に向かうことを願わずにはいられません。今のところ、両陣営とも相手候補に対する敬意が欠片も感じられないことに違和感を覚えるのは私だけではないように思います。

必要があって満州国のことを調べているのですが、知らなかったことのあまりの多さに愕然としています。満州国のみならず、台湾、朝鮮、東南アジア諸国等々、かつての日本との関わりを知らずして未来を語ることは出来ないことを痛感させられます。

ブーコ/写真AC

今年は曜日配列が良くなかったこともあり、まとまったお休みもとれないままに8月も後半となってしまいました。遅かった梅雨明けと共に猛暑・酷暑が到来し、「危険な暑さ」などという言葉が半ば慣用句化しつつあります。

昭和30年代後半から40年代前半、鳥取市で過ごした小学生時代は、朝6時から近くの久松山(きゅうしょうざん)鳥取城址の二の丸へ散歩に出かけ、午前中の涼しいうちに宿題をやり、午後は学校のプールで泳いで、帰宅後お昼寝を一時間、などという絵にかいたような夏休みを過ごしていたのですが、今は早朝から30度近くまで気温が上がり、「朝の涼しいうち」などということもなくなってしまったようですね。

それでも2日間だけ連続して休みを取ったのですが、数冊の本を読んだだけで、ほとんど無為かつ怠惰に過ごしてしまいました。いつも休み前にはあれもやろう、これもやろうと気宇壮大(?)な計画を立てるのですが、実現できたためしがありません。随分以前にご紹介した、高校生時代に読んだ柏原兵三の短編小説「短い夏」最後の一節「思っていたことの何分の一も実現できないまま、僕は秋の中にいた」を今年も思い出しました。

38歳で早逝した芥川賞作家の柏原兵三(1933~1972)の作品は高校生から大学生の頃に随分と愛読し、今も好きな作家の一人です。「短い夏」の姉妹作である「夏休みの絵」(三笠書房・1971)は青春小説の秀作ですし、母方の祖父である陸軍中将をモデルとした芥川賞受賞作「徳山道助の帰郷」や、ベルリン留学時代を描いた遺作「ベルリン漂泊」も好きでした。

猛暑が続きますが、赤坂宿舎の中庭ではミンミン蝉とつくつく法師が競うように鳴いています。つくつく法師が鳴き始めると、夏が過ぎ去っていく焦燥感と寂寥感に駆られるのですが、今年の短い夏もピークを過ぎつつあるようです。

皆様、ご健勝にてお過ごしくださいませ。


編集部より:この記事は、衆議院議員の石破茂氏(鳥取1区、自由民主党)のオフィシャルブログ 2020年8月21日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿をお読みになりたい方は『石破茂オフィシャルブログ』をご覧ください。