トルコ・エルドアン大統領の「良き知らせ」は

トルコの最大の商業都市イスタンブールにあるチョーラ修道院が今後、イスラム寺院として利用されることが21日、明らかになると、国内外のキリスト教関係者の間で批判の声が上がっている。ギリシャのカテリーナ・サケラロプル大統領はツイッターで、「チョーラ修道院は著名な教会だ。1958年以来博物館だった同修道院のイスラム寺院化を止めさせるべきだ。そのような決定は扇動行為であり、超教派の対話を阻害するものだ」と指摘している。

▲世界遺産のチョーラ修道院(チョーラ修道院のサイトから)

▲世界遺産のチョーラ修道院(チョーラ修道院のサイトから)

なお、同大統領は今年7月のアヤソフィアのイスラム寺院化決定に対して14カ国の欧州の国家元首に書簡を送り、「アヤソフィアは欧州の共通の遺産である」として、トルコ側の決定を厳しく批判した。

ギリシャのリナ・メンドー二文化相は、「トルコ側の行動は世界遺産への侮辱だ」と述べている。同相は、「チョーラ修道院はビザンチン文明の記念碑的な建物だ。モザイクとフレスコ画が一体化した芸術作品だ。チョーラ博物館の聖母マリア画はビザンチン文明の歴史と芸術に関する書物には必ず紹介されていて世界的に有名だ。14世初期のビザンチン帝国時代の『即位したキリスト』のモザイクも同様だ。その芸術的価値はアヤソフィアと同じだ。寛容、多様性を促進させる代わりに、21世紀になって時代が後退するとは本当に悲しい。芸術に関して互いに対話する時代なのに、トルコ大統領の今回の決定はそれを後退させるものだ」と指摘している。

欧州連合(EU)外交問題担当のナビラ・マスラリ報道官は、「アヤソフィアと同様、チョーラ修道院もユネスコの世界遺産に指定されている。トルコ政府は宗派間の対話、寛容、共存の促進に対して義務がある」と述べている。

それに対し、トルコ外務省報道部は22日、「とんでもない言いがかりだ」と一蹴している。トルコ側はこれまでのチョーラ修道院を「カリエ(Kariye)イスラム寺院」と呼称を変え、「アヤソフィアと同様、カリエ・モスクもトルコの文化的財産だ」と反論している。バチカンニュースが23日、報じた。

このコラム欄でも伝えたが、トルコでは7月、イスタンブールで博物館として使用されてきた世界的有名な観光地でもあるアヤソフィアが再びイスラム教礼拝所(モスク)として利用されることになり、エルドアン大統領を迎えて同24日、86年ぶりにイスラム教礼拝が行われたばかりだ。

アヤソフィアの歴史は長い。東ローマ帝国(ビザンティン帝国)のユスティニアヌス帝が西暦537年、東方正教会の建物として建設したが、オスマントルコが1453年、当時コンスタンティノープルと呼ばれていたイスタンブールを占領すると、アヤソフィアをモスクに改修し、4つの尖塔を建設した。1934年、ムスタファ・ケマル・アタテュルク初代大統領(1881~1938年)はスルタン制を廃止、共和国を樹立すると、イスラム教の世俗化を促進し、アヤソフィアをモスクから博物館とした。ユネスコの世界遺産に指定され、世界から観光客を集めるトルコ最大の観光地となった。ところが今年7月10日、トルコ最高行政裁判所が博物館を廃止し、イスラム教礼拝所に戻した。

そのニュースが流れると、イスラム教徒から歓喜の声が聞かれる一方、キリスト教会からは「アヤソフィアは超教派運動のシンボルだった」と嘆く声が聞かれた。メディアはイスラム根本主義傾向の強いエルドアン大統領がトルコのイスラム化をさらに一歩前進させたと報じ、「アヤソフィアはキリスト教とイスラム教間の架け橋であり、共存のシンボルだった」(BBC、7月11日)として、トルコ側の今回の決定を批判的に発信した。モスクワ正教総主教府は、「トルコ政府が世界遺産に関して過小評価するのは遺憾であり、悲しいことだ」という声明文を公表している(「『神』は誤解されてきた」2020年7月17日参考)。

アヤソフィアの場合、同教会内のキリスト教関連の芸術品は取り外されないといわれてきたが、関係者によると、「キリスト教関連の芸術品は布などで覆われ、見ることができない、女性の入館も制限されている」という。

エルドアン大統領はイスラム根本主義組織「ムスリム同胞団」の“影の指導者”といわれ、オスマン・トルコ帝国の再現を夢見ているとも受け取られているが、トルコの国民経済はここにきて停滞し、通貨リラの価値は下落。同大統領の支持基盤の与党政党「公正発展党」(AKP)は地方選挙で敗北が続くなど、国民の支持率は低下してきた。

そのような状況下、エルドアン大統領は国民の愛国心を鼓舞する狙いから、アヤソフィア、そしてチョーラ修道院のイスラム教寺院化を決定したのだろう。宗教関連建物は大統領にとって自身の野心を実現させる手段に過ぎず、建物の宗教性、芸術性には余り関心がないわけだ。

蛇足だが、エルドアン大統領は21日、ィスタンブールで記者会見を開き、「黒海周辺(北部ゾングルダ県沖約170キロ)で過去最大規模の天然ガス田、推定3200億立法メートルが見つかった。20年間はトルコの全エネルギーを賄うほどのものだ」と発表し、「2023年には生産を開始する。トルコ経済は回復、発展していく」と誇らしく語った。興味深い点は、意図的か無意識に飛び出したかは分からないが、エルドアン大統領は過去最大級の天然ガス田の発見をキリスト教でよく使う「良き知らせ」(福音)と表現し、記者会見を始めたことだ。

中東地域では過去、原油、天然ガスの発見がその国の国民経済、ひいては国民の生活改善に役だったという例は少ない。周辺国と地下資源の奪い合い、紛争の激化となってきた例が多い。実際、トルコは現在、東地中海の天然ガス開発と海底パイプラインの建設問題でギリシャ、キプロスと対立している。今回の黒海の天然ガス田発見でもロシアとブルガリアから既に不協和音が聞かれる、といった具合だ。

アヤソフィア、チョーラ修道院のモスク化を決定したエルドアン大統領の対話、共存精神のない独善的なやり方は、天然ガス開発問題でも、周辺国家との紛争を誘発させるかもしれない。過去最大の天然ガス田の発見がトルコ国民全てに「良き知らせ」であることを願うだけだ。


編集部より:この記事は長谷川良氏のブログ「ウィーン発『コンフィデンシャル』」2020年8月24日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿を読みたい方はウィーン発『コンフィデンシャル』をご覧ください。