立憲・国民の合流を評する

民主党は09年の衆院選で300議席超を獲得し、政権の座に就いた。しかし、消費税増税をめぐる意見対立を引き金に小沢一郎衆院議員らが12年に離党。同年の衆院選は57議席と惨敗し、下野した。16年に民主党と維新の党が合流した民進党は156人で発足したが、1年半後に立憲と希望の党へ分裂。民進に残った議員と希望の大半が一本化して国民が結成されたものの、立憲と同様に中規模にとどまった。

上記は、『終止符打てるか「負の歴史」 離合集散の8年―合流新党、民意受け皿へ正念場』と題された記事の一部です。そもそも旧民主党というのは

「合流を繰り返して発展した」もので、「小選挙区比例代表並立制で衆院選が行われた(平成)8年に旧社会党と旧新党さきがけの一部が合流、(平成)15年には旧自由党と合併」

する等、ある意味烏合の衆化した政党でありました。

これまで当ブログでも時機に度々指摘した通り、中国古典流に言えば政治は三つの要素に分かれます。第一に政治の政に道と書く「政道」というもので、時代劇などを見ると「天下の御政道」というようなことがよく出てきます。政道とは正に政治の根本中の根本であり、その国の君主なり皇帝なりが行う政治の思想・哲学に当たる部分です。

そして、その政道を踏まえ活用しながら如何に具現化・具体化して行くかを「政略」と言い「政策」に繋がって行くわけですが、一番大事なのは思想・哲学であって政道の違いを象徴しているのが各政党であります。政党は本来政党たる役割をきちっと果たすべく、政道・政略を踏まえた政治を実現して行かねばならないのです。

しかし、上記の如く旧民主党を起源とする各野党は、此の政道・政略の相違を無視し、象徴的には共産党とまで組むような単なる党利党略だけの結び付きでしたから、時間の問題で嘗ての社会党のように自滅に繋がる烏合の衆に過ぎなかったのです。今回もまた、例えば国民民主党の前原誠司さんが早々に出された次の言葉、

「共産党と協力する政党に行きたくない。憲法観、自衛隊、天皇制、日米安保、あるいは消費税といった内政のみならず、外交・安全保障の考え方が全く違う政党と協力する野党共闘にくみすることはできない」

からも、共産党を巡っての考え方が一番大きな影響を与えていることが窺い知れます。

何れにせよ、党としての主張の根本となる思想・哲学の部分で同意が得られない中での政党運営は、極めて難しいということです。時間の問題で分かれて行くわけで、その時間が今回こういう形で来た、ということだろうと思います。一昨昨日、国民民主党代表の玉木雄一郎さんは『なぜ「分党」なのか 〜 立憲民主党からの合流提案について』と題したブログの中で「決断にいたる思いや経緯について、改めて説明」されていましたが、一つ政党として位置付けるべく私は分かれた方が良いと思っています。

国民民主党・玉木雄一郎代表本人ツイッター(編集部)

そして今後最大の焦点の一つとなるは、国民民主党が旧民主党・旧民進党から組織と共に引き継いだ資金を巡る、次に指摘されるような争いです。

国民は平成30年分の政治資金収支報告書で、翌年への繰越額108億円を計上した。一方の立民は18億円に止(とど)まった。資金力の差は歴然である。立民が合流を呼び掛けたのは、国民が保有する資金目当てとみられないか。見過ごせないのは国民が保有する資金の行方だ。統一地方選や参院選で目減りしたが、それでも50億円あるとされる。

此の合流につき、例えば日本維新の会代表の松井一郎さんなどは

「選挙が近づいて金と票をどう確保するかという話で、浅ましい。帰ってきた民主党だ」

と批判されておられます。国民民主党の残存資金を出来るだけ持ち込みたいという立憲民主党代表の枝野幸男さんの考え方もあって、下手をすると単に玉木さんの一派が放り出されて終わりという結末も有り得るかもしれません。今回玉木さん以下何人付いて来るのか分かりませんが、結局また小さな集団になり取り敢えず日本維新の会に、そして最終的には自民党に吸収されて行くといったことに、なり得るのではないかと思い見ているところです。


編集部より:この記事は、北尾吉孝氏のブログ「北尾吉孝日記」2020年8月25日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿をお読みになりたい方はこちらをご覧ください。