安倍政権の評価:内田樹氏の煽情的な論評は許されるのか

内田樹氏の論考を読みました。

安倍政権の7年8カ月(内田樹の研究室)

評論家とは、ここまで煽情的な表現をしても許されるものなのかと、ある意味感心しました。

内田樹氏(Amazonページより)

内田氏の論考の冒頭は、評論家としての議題提起をされている部分であると読めました。

まとめれば「安倍政権が目指したいわゆる「国家主義」は、きわめて個人主義、利己主義的なベクトルを向いていたため、「私」と「国」との一体感が醸成されなかった。故に、いまだ大国として存立しているはずの日本に対して、国際社会がリーダーシップを求めることもないし、国力そのものも衰微する結果を招いた」。

賛否はあるものの、安倍政権の方向性におおむね賛同している国民にも、考えさせられる論点を含んでいます。少なくとも「日本が国際社会からリーダーシップを求められていない」や「国力が衰微」したとする件が、事実関係として正しいものかどうかを、自分なりに調べ、考えをまとめるきっかけにはなります。

いただけないのは、内田氏の論考の後半部分です。

上記前提から、安倍政権は「勝ったものは正しかったから勝ったのだ。多数を制した党派は真理を語ったので多数を制したのだ」という現実肯定の思考停止」状態にあり、私たち国民も、「この政権は私たちが反対しても何の影響も受けないほどに強大な権力を有している。そうである以上、服従すべきだ」という、なんとも悲しい固定観念をもった羊として表現されています。

これは、あまりにも国民を馬鹿にしています。

大多数の国民は、内田氏が思うほどに短絡的なものではありません。

安倍政権は、安倍首相の病という形をとったものの、末期であるが故に終わったのです。もちろん、7年8ヶ月という長期にわたり、安定的な政権運営をするという激務に耐えた安倍首相に対して、多くの国民は労いの気持ちをもってはいます。

他方、冒頭あげたような政権の姿勢について「これはまずい」という国民の批判がうねりとなり、今に至っているという認識が、内田氏の論考には決定的に欠如しています。内田氏の論考の通りだとしたら、「傲慢不遜な安倍政権に牛耳られた、従順にしてニヒリストな日本国民による、非民主主義的な国家像」こそ、今の日本の国体である、ということになります。

首相官邸YouTube

さらに内田氏の論考はたたみ掛けるように、新型コロナウイルスに対する安倍政権の無力を言いつのります。

難しい表現はさておき、政治とは結果責任です。内田氏も言う通り、日本は新型コロナウイルスの死者数は少なかった。これは、東アジア人にあるとされるファクターXのおかげかもしれない。あるいは、マスクの装着率や手洗いの習慣、接触を嫌う文化的要素がある程度影響しているのかもしれない。

しかし、結果としてはクラスターを封じる方策により医療崩壊が発生することもなく、マイルドに市中感染が進行し、国民の総数を分母とする死亡率も諸外国と比較して圧倒的に少ない数に抑えることができています。高齢化率世界一の日本において、この結果は成功といえます。

さらに、コロナ対策予算として、第1次・2次・補正合わせて一般会計総額60兆円近くに上る巨費を投じて、家計、企業・個人事業主、医療・教育・福祉機関などを幅広く下支えしました。

予算の多寡、用途については、今後もしっかりした国民的議論が必要ですが、内田氏はそのような前提を度外視するように「感染症は全国民が等しく良質な医療を受けることができる体制を整備することでしか収束しない。しかし、安倍政権は支持者のみに選択的に利得をもたらし、反対者には「何もやらない」ことによって「一強体制」の心理的基礎を打ち固めてきた。」と表現しています。

内田氏の言う「全国民が等しく受けられる良質な医療」とは、いったい何を指しているのでしょうか?その良質な医療を実現していれば、今の日本は新型コロナウイルスを克服できているのだとすれば、その魔法を教えてほしいところです。

内田氏が言う通り、安倍政権が「反対者には「何もやらない」」運営をしたならば、安倍政権は新型コロナウイルスが蔓延した直後にあっさり崩壊しています。内田氏のフィルターを通すと、安倍政権時代の日本は「悪の皇帝が君臨する利益誘導国家」に見えるのでしょう。

確かに、安倍政権による新型コロナウイルス対策は、初期は日中関係のバランスをとるために中国からの渡航禁止が遅れたり、アベノマスク政策でがっかり感を存分に演出したり、Go To関連政策とお盆時の遠出を控える要請を同時に出すような「アクセルとブレーキ」問題が発生したりという悪手が多数あったことは事実です。

またそれら「悪手」を一つ一つ分析していけば、そのいくつかは利益誘導の影がちらついているよう解釈できるものもあるでしょう。しかし、内田氏が言う政府の感染症対策に対する国民の低い評価は、上記のような「いくつかの個別政策の純粋なダメさ」が影響したのであって、「反対者には何もやらない」ことにあったとするのは、あまりに無理があります。

内田氏の論考のまとめの部分を引用します。

安倍政権は国民を支持者と反対者に二分し、「反対者には何もやらない」ことによって権力を畏怖し、服従する国民を創り出そうとしてきた。だから、彼が権力基盤を強固にするにつれて、日本人はどんどん「リアリスト」になり、誠実や正直や公平といった「きれいごと」をおまめに鼻先でせせら笑うようになり、そしてまさにそうした態度を通じて、国際社会において誰からも真率な敬意を示されることがなくなったのである。

国民の多くは、どのような政権についても功罪を冷静に分析しており、極端な「支持者」と「反対者」はいずれの極もごく少数です。誠実や正直や公平については、とりわけ敏感な国民性であると考えます。

「悪の皇帝の評価を骨抜きにすべく、我が啓蒙せん」というトーンで終始する内田氏の論考は、なんとも胡散臭いものとして読めました。