安倍首相の功績の歴史的評価については、様々な意見があっていいと思うが、新型コロナ対応で失敗した、などという言説を流布する方がまだいたのことには、率直に言って、驚いた。
今回が8回目となる「『日本モデル』vs.『西浦モデル2.0』の正念場」シリーズで示してきたように、あるいはそれ以前の3月からの一連の文章で主張してきたように、安倍首相の指導下で、日本の新型コロナ対策は、着実な成果を見せている。評価の仕方に細かい議論の要素はありうるだろうが、「日本モデル」が失敗しているなどという主張には、全く根拠がない。
私は、尾身茂会長や押谷仁教授らの旧専門家会議・現分科会の方々を「日本の英雄」と呼んで繰り返し称賛してきている。これらの真の質の高い専門家の方々に、専門家としての重責を担う仕組みを担っていただく仕組みをとれたことが、「日本モデル」の成功の秘訣である。
ただし政治的に言えば、この方々を信頼し、ブレることなく政策を遂行してきたのは、もちろん最高責任者としての安倍首相の功績である。
首相に求められた仕事は、質の高い真の専門家を見出し、それらの専門家を信頼し、一貫した政策を遂行していくための体制を整えることだった。安倍首相は、その仕事を誠実に遂行した。
もし新型コロナ危機下の首相が、安倍首相ではなく、「様々な意見を総合的に勘案して」テレビ番組の内容にも気を使っていることを示すために渋谷健司氏のような煽り系専門家にも意味もなく要職を配分していくようなタイプの人物だったら、日本の運命は大きく変わっていたかもしれない。
安倍首相は、最も適切な専門家に、最も適切な立場を提供し、そして決してブレることなく、その真の専門家を信頼し続けた。その功績は、計り知れないほど大きい。真の専門家の方々が日本の英雄であれば、最高責任者である安倍首相もやはり日本の英雄であろう。
最近の傾向を、新規陽性者数の動向で、あらためて確認しておこう。東京の7日移動平均値をとったグラフで見るとこうなる(参照:東洋経済オンライン)。
全国では次のようになっている。
私は7月初旬から一連の「日本モデルvs西浦モデル2.0」シリーズの文章を書いてきているが、それは5月15日に西浦博北海道大学教授が示した試算では、7月以降の新規感染者数の増加は、指数関数的拡大に至ったまま、6~8割程度の人と人との接触の削減がなされなければ、減少に転ずることはないはずだったからだ。6~8割未満の人と人との接触の削減では、大勢に影響のある新規陽性者数の減少は見られないはずだった。
この「西浦モデル」の考え方は、「日本モデル」の考え方と、鋭く対立する。そこで私は、緊急事態宣言がない状況での新規陽性者数の推移の意味を明らかにするために「日本モデルvs.西浦モデル2.0」という文章のシリーズを書き始めた。
2か月がたち、9月になった時点での結論を述べれば、「日本モデル」の勝利である。「西浦モデル」にしたがえば6~8割の人と人との接触の削減がなされなければ起こるはずのない新規陽性者数の明確な減少が達成されている。素晴らしい成果である。「日本モデル」を管理している尾身会長や押谷教授らを、私が「英雄」と呼ぶのは、決して間違った態度ではないと思う。
ここで年初からの日本の新型コロナへの取り組みを、安倍首相の退陣の機会に、簡単に振り返っておこう。
1月
今年の1月に新型コロナは中国の武漢で発生していることが、世界に広く知られることになった。このとき、かつてSARSの被害を受けた記憶を持つ台湾に代表されるアジア諸国は、機敏かつ厳格な対応措置をとった。そして新型コロナの封じ込めにほぼ成功した。
日本は、中国からの早期の厳しい入国制限などを躊躇した。そのため、ウィルスの国内への侵入を許した。もっとも欧米諸国などにもウィルスは侵入していたので、中国からの来訪者を止めることが、日本のような人口1億2千万人を擁する国にとって、どれほどの意味を持ちえたかは、もはや永遠の謎としか言いようがない。
いずれにせよプリンセス・ダイヤモンド号事件への対応でも厚生労働省が厳しく批判されるにあたって、2月中旬に内閣府に専門家会議が設置されることになった。これが「日本モデル」の実質的な開始点であろう。
2月
招集された押谷仁・東北大教授ら感染症の専門家たちは、2月半ばの段階での新型コロナの封じ込めの不可能性を洞察した。これは英断であった。
今日に至るまで、日本は、早期に入国制限などを行って封じ込めを図ったアジア諸国と比すると、死者数などにおいて成績が悪い。他方、そのような措置をとらなかったにもかかわらず非現実的な封じ込め政策を導入した欧米諸国などと比すると、圧倒的に良好な成績を誇っている。
「日本モデル」の成功は、専門家会議に招集された感染症専門家グループの洞察が正しかったことを示している。専門家会議は、失敗を約束されている封じ込めを目指す政策ではなく、感染ペースの鈍化と医療体制の充実を目指す政策が妥当だと考えた。その背景には、感染率は高いが重症化率は低いという新型コロナウィルスの特性に対する的確な洞察があった。
2月25日に決定された新型コロナウイルス感染症対策本部の「新型コロナウイルス感染症対策の基本方針」では、次のような考え方が示されていた。
- 感染拡大防止策で、まずは流行の早期終息を目指しつつ、 患者の増加のスピードを可能な限り抑制し、流行の規模を抑える。
- 重症者の発生を最小限に食い止めるべく万全を尽くす。
- 社会・経済へのインパクトを最小限にとどめる。
この方針は2月23日の「新型コロナウイルス対策の目的(基本的な考え方)」で簡明に示されていた。
この専門家会議招集後に確立された「日本モデル」の基本的洞察の正しさは、半年後の今日では、すでに実証済だと言える。
2月半ばより前に厳格な入国規制などを通じて封じ込めを図った一部の東アジア諸国を除いて、それ以降の後付けの措置だけで封じ込めに成功した国はない。日本は、封じ込めを目指さなかった、あるいは封じ込めを断念したグループの中では、先頭を走った優等生であった。
結局、この「日本モデル」は、今日の世界のほとんどの諸国が採用しているアプローチとなった。2月半ば以前に封じ込めに成功した一部のアジア諸国を除いて、今日では、世界中の国々が、新型コロナの完全封じ込めを目指すのではなく、重症者への予防と対応に重点を置きながら、感染拡大の緩和化を政策目標としている。「日本モデル」は、そうした世界の国々にとって、着目すべき重要な先例である。
3月
大枠の方針が提示された後の3月に、いわゆる「三密の回避」という「日本モデル」を象徴するアプローチが確立されるようになった。
新型コロナの感染を拡大しているのは、全ての陽性者ではない。特にクラスターと呼ばれる大規模感染を引き起こすのは、密集・密閉・密接という条件が重なった状況においてである。したがって、手洗い・マスク着用等の基本的な感染予防を施したあとは、「三密の回避」などの大規模感染拡大予防策を徹底すれば、ウィルスの撲滅は果たせないとしても、重症者が急増して医療崩壊が引き起こされるような事態は回避できる。これが「日本モデル」の基本的考え方であった。
新型コロナが欧米社会を破壊…「日本モデル」は成功するのか(現代ビジネス拙稿)
4月
「三密の回避」の訴えが政治家層からもなされるようになり、一般の人々にも広く理解されるようになったのは、3月下旬になってからであった。その効果が見極められる前に医療機関への負担の危険な増加が懸念されるようになったため、4月7日に緊急事態宣言が発せられた。
安倍首相は、緊急事態宣言の発出にあたって、その目的を「医療崩壊を防ぐ」ことに設定した。2月時点からの「日本モデル」の考え方にそったものであった。
ただ安倍首相は、人々の感染予防行動を集中的に促進するために、西浦博・北海道大学教授の試算を事実上参照して、「人と人との接触を8割減らす」ことができれば、ウイルスを収束させることができる、とも述べてしまった。
このときの「収束」とは、医療崩壊を回避して管理可能な水準にまで感染拡大のスピードを低下させる、という意味であっただろう。しかし西浦教授が、ツィッターなどを通じた社会運動を展開して、8割削減が達成されれば新型コロナは終息する(消滅する)という考え方を流布させたことによって、混乱が起こった。
私は4月10日の時点で、すでに3月からの国民の努力もあり、感染拡大の増加率は低下してきている、とはっきり述べていた。
しかし西浦教授は、4月15日に主要マスコミ各社を集めた記者会見を開いて有名になった「42万人死ぬ」試算をグラフ付きで示した。「8割削減」を達成できれば、新型ウィルスを撲滅できる、という夢物語に1億2千万人の国民を総動員するための社会運動であった。
この「42万人死ぬ」事件については、後に押谷仁教授は、自分は公表に反対だった、と述懐している(参照:“新会議に山中教授”への懸念 コロナ対策の政治利用が加速も|デイリー新潮)
西浦教授の、おそらくは正義感に燃え上がった、独断のクーデターであった。
西浦教授は、専門家会議の正式メンバーではなかったが、厚労省クラスター班に属する数理モデル専門家として招かれた専門家会議の記者会見においても、座長や副座長をさしおいて独自の考えに基づく断定的な発言を繰り返した。
それは、自身の数理モデルの絶対的な無謬性に信仰心にも似た確信を持った人物の姿であった。西浦教授の反政府的なトーンを大歓迎したマスコミは、西浦教授を、日本において世界の真理を知り、真実を語る勇気を持つただ一人の人物である、といった調子でもてはやした。
西浦教授が、公園の人出が減っていないので8割削減が達成されない、と記者会見で強調すると、翌日の都内では児童公園にまでテープが貼られて立ち入り禁止になるという狂奔ぶりであった。
5月
緊急事態宣言前からの措置及び緊急事態宣言中の追加的な措置により、5月には新規陽性者の拡大が減少に転じていることが明らかになった。ただその効果は5月初旬には確定的には十分に明らかではないという理由から、安倍首相は、緊急事態宣言を延長することを決め、それを国民に謝罪した。
左翼マスコミは政府の取り組みの失敗をファンファーレを鳴らすように報じ続けたが、左翼マスコミが無視することができないほどに新規陽性者が減少するには、少し時間が必要だっただけの話である。5月末には、延長を早期に切り上げる形で、緊急事態宣言は終結した。その頃までに新規陽性者数は、全国で100人以下のレベルにまで低下していた。
「8割削減」が達成されないままの緊急事態宣言に危機感を抱いた西浦教授は、政府批判の姿勢を強めた。そこであらためて緊急事態宣言の解除に反対するかのようなトーンで、破滅を回避するためにはどこまでもウィルスの徹底撲滅を目指すべきだといった示唆で示されたのが、5月15日の東京都広報番組で示された「西浦モデル2.0」であった。
西浦モデルの検証⑫ いつまで当たらない予言を出し続けるのか?
6月
6月は感染者数が少なかったので緊急事態宣言期の検証を進める機運が高まったが、実際に高まったのはモリカケ問題などで見られた構図そのままの不毛な対立であった。
西浦教授は、日本政府はアメリカ政府の圧力に屈して開国して感染を拡大させるな、政治家からの経済重視の圧力に行政官は抵抗せよ、政治家が自説を採用して政策を遂行しないのが問題だ、といった左翼メディアが好む図式に自己の見解をのせた言説を発信し続け、反安倍首相勢力のアイドルになっていった。
「8割おじさん」のクラスター対策班戦記【後編】~次の大規模流行に備え、どうしても伝えたいこと|中央公論
7月
政府は、新型コロナ対応の特別措置法に基づく新たな分科会を設置し、旧専門家会議の主要なメンバーを分科会に移行させた。これ以降、正式メンバーではない西浦教授が、専門家会議記者会見で、座長や副座長をさしおいて断定的な発言を繰り返す、といった光景は見られなくなった。「日本モデル」と「西浦モデル」が、明確に切り離されたわけである。
分科会の助言にもとづいて、政府や自治体は、歓楽街に焦点をあてた戦略的な集中PCR検査の実施などのクラスター対策の政策を実施していった。また緊急事態宣言の急進的な措置の影響が抜けた反動が出る時期にもさしかった。そこで、7月を通じて、新規陽性者の確定報告数は、拡大の傾向を見せた。
渋谷健司氏ら、3月~5月に左翼メディアの寵児となっていた煽り系専門家たちは、水を得た魚のように再び日本批判を声高に行い、54兆円全国民PCR検査運動を推進しようとするなどの派手な動きも見せた。
もっとも実際には、拡大スピードのピークは7月初旬で、その後は減速し続けていたことについては、私の7月時の「日本モデルvs西浦モデル2.0」シリーズの文章を読んで確認していただきたい。https://agora-web.jp/archives/author/hideakishinoda
8月
新規陽性者数の拡大は、明白に減少傾向に入り、8月末には7月上旬の水準にまで下げ戻すことになった。重症者数・死者数は、一貫して低い水準に抑え込み続けた中で、新規陽性者数の拡大も抑え込んだことによって、「日本モデル」の政策の妥当性が示された。
そんな中、安倍首相は、休日のない連続勤務後の持病の悪化によって、退陣を表明した。多数の海外指導者は安倍首相を称賛するメッセージを送った。今や、1月の早期の段階で封じ込め政策をとった一部の東アジア諸国を除いて、どの国もウィルスの撲滅を目指す封じ込め政策などはとっていない。重症者数の増加を抑えて、感染拡大ペースの管理に努める日本的なアプローチをとっている。世界各国が「日本モデル」の優位性を認めているのである。
ところが、そんな中、日本のメディアだけが、日本の新型コロナ政策は失敗していると主張し、安倍首相の政策は破綻したと主張し、安倍首相に協力する専門家たちは良心を犠牲にして権力に近づいた者たちだといった許しがたい誹謗中傷を続けている。
左翼メディアと煽り系専門家たちの罪 ~ 日本モデル vs.西浦モデル2.0の正念場⑦
果たして日本のメディアは、どこまで断固として世界の趨勢に抗し続けるつもりなのか。この半年間で、私は、安倍首相の政治力の下で、尾身会長や押谷教授が作り上げた「日本モデル」を称賛し続けてきた。他方において、あえて煽り系専門家の言説には警告を発することを厭わないようにしてきた。
それにしても無責任なのは、首相の悪口さえ言っていれば知識人になれるという浅薄な世界観を貫くために、日本をダメにすることも躊躇しない言論人やメディア関係者である。これらの人々が、私が以前から憲法9条問題などで批判をすることを厭わなかった人々とぴったり重なっているのは、どういうことなのか。
この半年間で、日本に専門家であることを美徳とする英雄がいることがわかったのは、私にとって心の救いと言ってもいい出来事だった。だが、圧倒的に多数の無責任な煽り主義者がはびこって隠然たる勢力を誇っていることもまた明らかになった。それは、率直に言って、心が陰鬱になる出来事であった。