「アメリカが安定した日本に慣れ過ぎてしまった今、今後は嬉しくない驚きが待っているかもしれない。米政府は過去10年近く、日本の指導者が日米同盟に完全に忠実で、国会でも多数の支持を得られて、世界第3位の経済大国にふさわしい役割を果たすかどうか、心配する必要がなかった。遠くない将来、アメリカと同盟国はそんな安倍時代を懐かしく思う日が来るかもしれない」
とは、マイケル・オースリン(スタンフォード大学フーバー研究所)がForeign Policy Magazineに書いてニューズウィーク日本版(電子版)に転載されている「安倍晋三は「顔の見えない日本」の地位を引き上げた」という記事の結びである。
たしかに、安倍首相の8年足らずのあいだ、日本とアメリカは日米関係のややこしさに悩むことを忘れることができた。
辺野古問題はあるが、それは、アメリカとは関係なく日本が自国を防衛する基地を国内で確保することに反日勢力の妨害と地元エゴで苦しんでいるというだけだし、あとは、一般的なグローバリズムを含む市場主義批判であって、トランプがアンチ・グローバリズムであって日本のほうがグローバリズムの保護者という捻れた関係になっているので、反対派も迫力がない。せいぜいアンチ・パソナ運動みたいな迫力のないものになっている。
中国との関係についても、結局のところ安倍首相は、適切なポジション取りでアメリカに寄り添いつつ、中国とも良好な関係を築いた。
しかし、こうしたことは、すべて安倍首相のほとんど個人的な才覚によるところが大きいのであって、これが維持できるかは疑問だし、日本人もアメリカ人もこれまで当たり前であったことがそうでもないことになる覚悟が必要だ。
そういう意味も込めて、新著「アメリカ大統領史100の真実と嘘」のうち、 「21世紀になってからの日米関係」の項目に少し手を入れて紹介しておく。通常、通史というものは最近のことが手薄になっているが、私はいま起きていることを歴史家的な眼で紹介することをモットーにしている。
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小泉純一郎首相時代の日本外交は、アメリカのブッシュ政権にひたすら従順に徹し、そのかわりに、北朝鮮訪問だけは許してもらった感がありました。中国とは最悪、ヨーロッパを含めた他の国と良かったわけでもありません。
民主党政権は、オバマ政権とは相性が良いかと思われたのですが、普天間基地問題で「トラスト・ミー」といって何もしなかったし、日米中の正三角形とかいう同盟国をないがしろにした世界観では話になりません。ただ、東日本大震災のときの「トモダチ作戦」でアメリカとの絆が深まったのが唯一の救いでした。
安倍首相とオバマ政権の関係の滑り出しはそれほど良好でもありませんでした。とくに、「戦後レジームからの脱却」を唱えていたことは、悪くとらえられかねない要素がありました。また、このころは、欧米の中国への警戒感が不十分でした。いずれ民主化を進めるだろう、世界平和の脅威にはならないという楽観的なムードでした。
しかし、オバマ・習近平はかみ合いませんでした。一方、安倍首相も2014年の寿司店での会談ではビジネスライクなオバマと余り波長は合わなかったともいわれました。しかし、辛抱強い信頼関係構築が実って、2015年の米国議会での演説で、安倍首相に対するアメリカ政界の疑念はほぼ解消したと言って良いと思います。ここで示された歴史観は、アメリカの保守派にもリベラル派にも受け入れられ、日本国内の保守派もそこそこ満足させ、リベラルや左派も文句を言いにくい絶妙なものでした。
そして、トランプが当選するや、トランプタワーにトランプを訪ねて意気投合し、一方で、オバマ大統領の広島訪問に答える形での真珠湾訪問でバランスも取りました。
ヨーロッパなどの論調を見ても、安倍首相がトランプ大統領と無駄な対立はせずに、訪日の際などに思いっきり持ち上げ、気まぐれから来る問題の被害を最小限に留めているのは賢いと評価されています。また、中国とどちらが同盟国として大事かというのが議論にならなくなったのもうれしいことです。
ただ、中国の台頭の結果、アメリカの力が圧倒的であるという前提をたてられなくなっているわけで、西太平洋地域でも、日本、インド、オーストラリア、英仏独などが力を合わせないと追いつきません。少なくとも、そういう新しい状況に見合う犠牲を払う覚悟を固めるべき時代になったことは日本国民は認めるべきだと思います。