安倍首相とトランプ大統領はchemistryが合った。「相性が良い」の意だが、人間同士が化学反応を起こしているようで言い得て妙だ。親密な男同士にはBromance(brother+romance)なる語もあるが、トランプは金正恩やマクロンともそうらしいから、首相には使って欲しくない。
二人の間では、先に政治の世界にいた安倍首相が外交、特にアジアの関係では良きアドバイザーだったとされる。筆者の印象に残るトランプへの総理のベストアドバイスの一つに、18年の米朝首脳会談の開催場所の一件がある。首相は大統領にこう述べたと伝えられる。
「板門店だと、どうしても北朝鮮のペースになるし、日本のリエゾンも現地に派遣できないので反対だ。シンガポールではどうか?」(産経新聞18年5月17日「阿比留瑠比の極言御免」)
安倍首相が「リエゾン(Liaison)」というスパイ用語まがいを使ったので少々驚いた。が、それは筆者がスパイ本に凝り過ぎていたせいで、外交の世界では普通に使う語なのだろう。
そこで本稿では、筆者がヴェノナ文書やミトロヒン文書で「ほう」と感じたこの種の英単語30余りを紹介する(アルファベット順)。
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Bank(米国国務省)・・KGBの隠語では国務省のこと。
Cipher/Code(暗号)・・暗号化するはencipher/encode。反対に、解読するはdecipher/decode。
Contact(連絡員、橋渡し人)・・Liaisonとほぼ同義だが、若干いかがわしい、例えば麻薬の売人などの意味にも使う。
Controller(スパイ管理者)・・スパイ網(spy ring)の元締め。ソ連諜報員の場合も、ringのまとめ役の米国人の場合もある。
Courier(密使、秘密情報員)・・例えば、スパイが秘密文書を写真撮影し、それを当人やリエゾンや諜報員がマイクロフィルム化して、外交官や船員などがクーリエとなってモスクワに届けた。「スパイ情報運搬人」の方が相応しいかも。
Cover(隠れ蓑)・・例えば在米のソ連諜報員は、民間の貿易会社や印刷会社の役員などを隠れ蓑にして、米国でスパイ活動していた。「隠れ家」を指す場合もある。cover storyは「でっち上げ」。
Doctor((書類の内容などを)不正(あるいは勝手)に変える)・・doctored passportには当惑したが、偽造パスポートのことだった(forged/false passportも同義。金の偽造はcounterfeit)。読み手に判り易いよう改作する場合も使うが、森友の財務省文書は果たしてどちら?
Fellow traveler(共産党のシンパ)・・シンパはシンパサイザー(sympathizer)=支持者や共鳴者のこと。耳から聞くだけだと「親派」と書いてしまいそうだが、今のところ辞書にその語はない。「新派」はある。
Fifth column(第五列)・・敵に紛れ込むスパイ部隊。スペイン内乱でフランコ軍の隊列の五列目に敵の成りすましが並んだのが語源。若い頃の菅直人氏は、デモで決して第一列に立たないので「第三列の男」と呼ばれていたらしい。
Front(戦線、運動、隠れ蓑)・・Popular Frontは「人民戦線」、peace frontなら「平和運動」で、訳し辛い単語だ。日本でも暴力団の「フロント企業」などと使われる。
Illegal(非合法移住者)・・概ねスパイの意味で使われる。不法入国にはdoctored passportを使う場合と、スペイン内乱の「国際旅団」に各国から参じた戦死者のパスポートなどを使う場合がある。
Infiltrate(浸透する、潜入する)・・filtrateだと「濾過する」だが接頭語のinが付くとpenetrateとほぼ同義になる。Exfiltrateはこの逆で、スパイなどを「敵中から密かに退去させる」との意。
Liaison(連絡係、仲介役)・・例えば、大戦前後の①在米ソ連諜報員(大使館員や駐在武官など)と②政権内の米国人スパイの間には、主に米国共産党員や共産主義シンパがリエゾンとして介在した。①と②を直に接触させず、発覚時に芋づる式に捕まらないようにした。
Line(系統、戦列)・・指揮命令系統にも戦列にも使われるのでfront同様にややこしい。Theが付くと戦闘部隊になるし、linesと複数形になると塹壕の意味にもなる。
Liquidation(粛清、殺害、除去)・・本来は会社清算などの意味だが、スターリンが政敵を消す時などに使われる。
Lure(おとり、誘い込む)・・本来はもっぱら釣りの用語(疑似餌)。
Mail drop(秘密通信用の住所)・・スパイとリエゾン、リエゾンと諜報員が待ち合わせを確認する時などに、これを使って互いに暗号メモをやり取りする。
Mole(スパイ)・・モグラのことだが、敵の体制の中に潜入しているスパイを指す。ローズベルト政権には300人以上のソ連のモグラがいたことがVenona文書で暴露されている。マスコミに秘密情報を提供する者にも使う。
Neighbors(隣人、GRU)・・KGBの隠語でGRU(赤軍のスパイ組織)のこと
Nest(隠れ家)・・こっそり隠れる「巣」の感じがする。
Neutralize(無力化する、(敵を)殺す)・・これもスターリンの得意技。
Penetrate(浸透する)・・スパイ本ではもっぱら敵の中に入り込む、つまり「浸透する」という意で使われる。多様な意味が辞書に載っている語だ。
Plant(おとり、スパイ。(爆弾を)仕掛ける)・・植物とか設備とかと訳すと意味が判らなくなる。plant 10 minesなら「爆弾を10個仕掛ける」。
Pouch(行嚢、封印袋)・・外交書類を遣り取りする封印袋を外交行嚢(diplomat pouch)という。検閲しない決まりなので、北朝鮮は偽札や麻薬などこれを使って運んでいる疑いがある。
Recruit(徴募(する))・・新人や新兵の募集を指すが、スパイ本ではスパイに誘い込むことを指す。「リクルート」は筆者が就職する頃はまだ真新しい言葉だったが、今や知らぬ者はない。
Resident(外地居住者)・・スパイ本では諜報機関の現地担当者を指す場合もあるし、民間人居住者の協力者を指す場合もある。彼らの組織を「Residency」といい、在外公館などもその拠点になる。差し詰めヒューストンの中国総領事館はそれか。
Ring(一味)・・spy ringとはスパイ網のこと。
Safe house(アジト、隠れ家)・・同じ隠れ家でも、普段から誰かがそこで生活しているアジト(秘密指令所:agitating point)の意味合いが強い。
Spot(発掘する)・・スパイとしてリクルートする対象を探し出すこと。Spotterはその役割をする人(Talent-spotter)のことで、タレントスカウトと同義。
Tap/Bug(盗聴、盗聴器、盗聴する)・・両方とも盗聴のことだが、tapは電信・電話の傍受、bugは隠しマイクによる盗聴をいう。小泉訪朝では、随行した安倍晋三は打ち合わせが盗聴されているのを逆手にとって「帰りましょう」と発言し、これで北が折れたとされる。
White(保守主義者、体制派)・・スターリン体制に反対する者、つまり革命前のロシア支持派(白系ロシア人)のこと。Redは勿論共産主義者。