「教頭試験廃止」が警鐘を鳴らす教育現場の深刻さ

愛川 晶

croissant./写真AC

あまり大きく報道されていないが、教育界にとって極めて衝撃的なニュースが飛び込んできた。9月10日付の報道だが、神戸市教育委員会は校長や教頭への昇任試験を廃止し、今後は本人の意向を汲み、面談などによる選考で登用する方針を固めたという。理由はもちろん管理職を希望する教員が減少したせいである。

校長教頭の昇任試験を廃止 多忙で希望者激減、若手の登用推進へ 神戸市教委(毎日新聞デジタル)

現在は作家専業だが、県立高校の教員を38年と 4カ月勤めた経験をもつ(端数がある理由は、定年退職・再雇用後の福島県教育委員会による理不尽な雇い止め)私にとっては「ついに、ここまで来たか」というのが率直な感想だ。

私が教育の世界に足を踏み入れたのは昭和55年(1980年)の春だが、当時は40代の男性教員であれば、よほど組合活動に熱心でない限り、管理職を目指すのがあたり前で、その登竜門とされる教務部主任や生徒指導部長になるための校内の競争も熾烈だった。

いわゆる教頭試験には在任校の校長の推薦が不可欠なので、それを目的とした“つけ届け”は実際に行われていたし、ここから先はあくまでも風聞だが、管理職登用を巡って、裏で多額の金が動いているという話はよく耳に入ってきた。つまり、それくらい、誰もが教頭・校長になりたがっていたのだ。

ちなみに、「お前はどうだったのか」と質問されそうなので、先に答えておくと、40代初めくらいに校長から「推薦してやるから、目指してはどうだ」と声がかかったことはあるが、謹んでお断りした。生徒と接している方が好きだったし、筆記試験の勉強をするのも面倒くさい。第一、その時にはすでに鮎川哲也賞を受賞し、ミステリー作家としてデビューしていた。管理職になったら、人殺しの小説など書けなくなってしまう。

今回の報道によると、神戸市立小学校の昇任試験の倍率は約10年前には5倍程度だったが、昨年度は1.5倍にまで低下していたという。この事実はまさに衝撃的だ。しかも、この「1.5倍」という数字自体が実は眉唾で、教頭試験を受験する教員の減少はずっと以前から問題視され、教育委員会から各校の校長に対し、受験者を出すよう半強制的に割り当てるのがあたり前になっていた。神戸市でも似たような対策は行われていたはずで、それでも、どうにもならないから制度変更に踏み切ったとしか考えられない。

管理職希望者が激減した理由について、ここで詳しく考察する余裕はないが、学校現場の勤務環境の劣悪さが理由の第一であることは間違いない。その証拠に、教員の新採用試験の受験倍率も年々減少しているし、心を病んで休職する教員も多く、補充するための講師の確保すらままならないという。それに加えて、新型コロナウイルスの感染防止対策はすべて現場に丸投げ。管理職の責任ばかりが重くなっている。

ここで考えてみていただきたいのだが、教頭・校長になるのと、一生平のままで終わるのとでは、生涯賃金に年金への波及分を合わせれば間違いなく数千万円の差が出る。それでも希望者が足りないなどということは、普通の組織では絶対にあり得ない。学校現場がいかに疲弊しきっているか。その深刻さがここからわかる。

神戸市を皮切りに、同様の制度変更を行う自治体が増えるだろうが、そのために予想される弊害は管理職の質の低下である。筆記試験がなくなれば、これまではかろうじて排除されていた不適格者がふるいの目を潜り抜けてしまうし、登用がますます恣意的になり、トンデモ教頭やトンデモ校長のせいで苦しめられる平教員が激増するに違いない。

そうでなくても、近年の管理職の質の低下は目を覆いたくなるほどで、私が直接知っているのは福島県の高校だけだが、現場でまったく使いものにならないという理由で教育委員会にずっと置いておかれ、トコロテン式に押されて出世して、最後は基幹校の校長になったという極端な例まであった。当然ながら、在任中、その高校の教職員の苦労は並大抵ではなかったそうだ。

私が実体験をもとに執筆した『再雇用されたら一カ月で地獄へ堕とされました』(双葉文庫)にはそんなトンデモ校長が何人も登場するので、興味のある方はお読みいただけば幸いである。